純粋な感覚
ゆっちゅは、生まれて8ヶ月を過ぎた夏にジィの家から500メートルほどのところに、引っ越して来ました。
そばに大きな川が流れていて、その土手の道をベビーカーにのせて、よくさんぽをしました。
ときどきベビーカーから下ろし、川のそばまで行って、水の流れる様や音を感じさせたりしました。
近くを走る電車を見るのも、さんぽの定番でした。ゆっちゅは動くものが好きです。
その夏の日のこと、近所にある神社の杜に涼を求めて抱っこして連れていったときのことでした。
ゆっちゅが天を仰いでゆび指し、何やらつぶやきました。
その先には高く生い茂った木々の隙間から、たくさんの小さな陽の光が射し込んでいました。
風にそよぎながら葉っぱは、陽に透かされて萌えるような緑色に輝いています。
木のないところの上空は、真っ青な空がのぞいていました。
ジィはゆっちゅの見ている世界を垣間見ました。
言葉が十分発達していない幼児が経験している視覚や聴覚は、純粋なものだという。
絶対音感などは、小さい頃から楽器の訓練を受けさせないと、消えてゆくものらしい。
一流の料理人になるには、できるだけ純粋な味覚がある若い時から修業するとよいと聞く。
さしずめ我々の経験でいうと、渇ききったのどで冷たい水の流れを感じるときの感覚が、それに近いだろうか。
とにかく、ゆっちゅは純粋な感覚の世界に生きているんだと、そのときジィは思いました。
それ以来さんぽのときは、ゆっちゅが感動するものに注目するようにしました。