地をハイ、大地に立つ、

ラカンに「鏡像段階論」という自我形成の理論がある。生後6ヶ月から1歳6ヶ月の間に、幼児が鏡に映る自分を見て、それが自分だと、認識するところから、自我は形成され始めるというものだ。

その段階を過ぎたゆっちゅは、今、スマホに映るじぶんがわかり、動画を見ている間は、我を忘れている。

 

その理論に沿って振り返ると、ゆっちゅの自我形成の始まりと、自我の「ひな型」ができあがる1年後は、いずれも桜が咲くころだったということになる。

神社の杜は新緑に包まれ、川の水も暖かみを感じさせるころだ。

 

その間に、ゆっちゅのハイハイと歩行の始まりが入る。

ゆっちゅは、ハイハイを1歳を過ぎたあたりからし始めた。

そんなある日、たくさんの小さな明かりがつくりだすイルミネーションの幻想的な世界に興奮したゆっちゅは、冬の到来を思わせる寒い日の、しかも夜であるにもかかわらず、芝生の上をうれしそうに、勢いよくハイハイしていたのを思い出す。ハイッシ ドウドウ ハイ ドウドウ。

ジィには、その姿が草原を駈ける若駒を見るように思い返される。

 

歩きはじめたのが1歳4ヶ月ころで、早咲きの桜の木の下で撮った写真がある。満開の桜に負けないほどに、誇らしげに立った姿には華がある。

その頃撮ったビデオ映像を見ると、満面の笑みを浮かべて、歩くことが楽しいというのが体全体から伝わってくる。

その頃は、転んでも泣かなかったが、今では転んだことに腹がたつのか、すぐに泣く、そしてすぐ泣き止む。

そして「泣いてたボクなんかいません」と、すました顔をする。

 

歩きはじめて、まだ4ヶ月にも満たない間のゆっちゅの成長には、眼を見張るものがある。

この間のゆっちゅの活動の中心には、言葉の習得への執念めいたものがある。

ゆっちゅに自我の輪郭が出来上がったということが、その成長の大きな原動力になっているのだろう。