総合力
自転車に乗っていろいろ見て回るようになって、ゆっちゅがまた一段と成長したように感じる。
ベビーカーと比べて、視線の位置が高くなったことと、より速い動きの中で、近傍にあるものを捉える視力が、求められるようになったことと無関係ではないだろう。
電車から見る光景と比べると、電車は速度が速い上に、室内から窓の外を見るために、遠景に視野は限られ、臨場感は薄れる。何はともあれ、風を感じながら走る自転車では、近傍にあるものとの距離感がいい。
行動範囲が広がることで、今まで見ていたものが、別の角度から異なる姿を見せてくるようになったはずだ。
勿論、ものを見るにはこれまでに見聞きした経験が影響するであろう。
抱っこされて見聞きしたこと、ベビーカーに乗って見聞きしたこと、そして、一人で歩きはじめてから見聞きしたことなどの経験を元に、ものの見方や感じ方の知識、すなわち何をどう見るか、膨大な感覚の何に注意を向けるかを身につけることなどの経験である。
そうした経験がたくさんある場所を、自転車の上から見せることによって、見え方、感じ方の違いの経験が、一般性や普遍性へ向けての抽象化の階段を昇り、時間と空間の概念を形作るための基礎となるに違いない。
ゆっちゅを自転車に乗せていると、ものが見えていると言うか、何をどのように見たら良いのかがわかっているという感じを受けるのだ。
特に「アシ」と「クルクル」の2つの言葉によって構造と機能を分別し、それに加えて、数を数えると言う行為が、視覚情報を整理する上で重要な役割を果たしていると思われる。
ゆっちゅには、ものが見えているなと感じるとき、何やら自問自答しているかのように、ゆっちゅ語が盛んに飛び出してくるときがある。
大脳皮質の神経細胞を駆け巡るさまざまな「想い」を言葉で捉えようしているかのように感じる。
「あっ」
今、目の前にあるのは、ごみ収集車だ。
DVDで見る車、絵本や画本で見る車、絵合わせで見る車、模型の車。
みんな同じだ。