眼力
一週間ぶりに会うゆっちゅは、どのようなまなざしで、ジィを迎えるのだろう。ゆっちゅの目が、何を物語るのか、何を訴えてくるのか、それが楽しみだ。
「目は心の窓」という言葉がある。
心の変化がたちまち顔に現れるというのも、「目は口ほどにものを言う」という言葉も、同様な意味を持つ。
ゆっちゅの目を見ていると、明らかに「心」が有るのが判る。
特に、好奇心が湧いてきた時の、ゆっちゅの目には力がある。
対象へ向かって一本の鋼鉄の線が張られるような強靭な目線が生じる。
このようなゆっちゅの目線を直に見ることは、実はなかなかできない。
面と向かっている場合は、ゆっちゅはジィの目を見て、ジィの心を探っている。
何かやろうと目論んでいるときは別だが、遊んでいるときは、ゆっちゅの目は無表情なことが多い。いわゆる、ぼうっとした顔をしている。
ゆっちゅの好奇心にあふれたまなざしが見られるのは、写真においてである。
水族館の水槽の前で撮られた一枚のゆっちゅの写真がある。
水槽内の蛍光色に青白くひかる光が届く範囲だけが、暗い室内の様子をぼんやりと浮き立たせている薄暗がりの中で、ゆっちゅは水槽のガラスに両手を突っ張って奥の方を見ている。
視線の先に何があるのかは、写真からはわからない。
ただゆっちゅの目の表情から、とても興味深いものであることをうかがい知ることができる。
ゆっちゅの視線は迷うことなく真っ直ぐに対象に届いており、ゆっちゅの心はゆっちゅの身体から抜け出している体なのだ。
一週間ぶりに会ったゆっちゅは、駆け寄ってはこなかった。
少しずつ近づいてきた。
まず、ジィの腕時計に手を触れ、見知っていることを告げ、くわえていたおしゃぶりをジィに手渡してから、ジィのひざに腰かけ、麦茶の哺乳瓶の口に吸い付いた。
3/1呑んで口を離して、抱きついてきた。
怠そうだ。
丸一日、ご飯を食べないのだから、力が出ないのだろう。
少し抱っこしてから、下りると意思表示してきたので、布団に寝かしたら、一度起き上がって遊ぼうとしが、やはり怠そうで、自分で横になり、ぼんやりした目付きで、何度か寝返りをしていたが、頭や背中を撫でてやっているうちに眠りについた。
ゆっちゅ、かんばれ。病気に負けるな。