道祖神のいざない

このところのゆっちゅは、能弁的になったという形容がふさわしいほどに、おしゃべりする。

いっしょに風呂に入ると、自分のチンチンをゆびで指して、そあしてジィのそれをゆび指して「チ」と呼称する。

行動的・攻撃的という意味の、近ごろ流行りの言葉でいうところの、アグレッシブな様相を見せるようになった。

体つきにも変化が見られる。

手足は細っそりとして、余分な肉が削げ落ち、ご飯を食べた後だけ胃の辺りだけぷっくりと膨れ上がる。

地面に垂直にすっくと立ち、歩く時は何やらものを考えているようすだ。

眼ざしは、ときおり鋭い光を放ち、しっかりとものを捉える。

自分の思うようにならない時は泣き騒ぐ。

こんなふうに、ゆっちゅは個としての存在感を放っている。

 

一昨日のさんぽから、自発的に歩いたり、階段の上り下りをしたりするようになってきた。

今日のさんぽでは、自分の足では歩いたことのない道、ゆっちゅにとっては、未知の道へ自分から足を踏み入れた。

その道は、短い間隔で道祖神が祀られる、古くからの街道にあたる。

道幅は狭く、軽自動車が一台通ると、歩行者は立ち止まるような道だ。

ゆるやかで短いアップ・ダウンを繰り返す、歩く人のためにできたような、人の足に優しい感じのする道だ。

ゆっちゅは、そんな道を、何かに誘われるように一人で歩き出した。

ゆっちゅが歩き出したのは、散歩の途中によく立ち止まってお祈りする道祖神のある場所である。

いつもはそこから抱っこして、家に帰るところだが、今日に限っては抱っこを拒否して歩くと主張した。

そっちの方へ行くと家から遠ざかってしまうだが、以前からゆっちゅは心惹かれていたのだろう。

黙って、時々ジィが後ろからついてきているか確認するだけで、近頃能弁なゆっちゅには珍しく、寡黙に歩を進める旅人の雰囲気を漂わせていた。

三、四十メートルほど先にある、次の道祖神があるところまで歩き、踵を返し元来た道を、同じようにして歩いて戻った。

わずか十数分間のことだつたが、ジィにはとても長い時間の中を旅しているようで、いつものようにゆっちゅに話しかけるのが憚られるような緊張感を感じた。

さんぽの最後に、最近お気に入りの踏切へ向かった。

それは、単線を走る電車の音で時刻が分かるような、のどかな在来線の踏切である。

ゆっちゅはしばらくの間、ゆるやかに下って遠く先まで見通せる直線に続く線路と、ゆるやかに左へカーブを切って先が見えない反対方面へ向かう線路に目をやりながら、踏切を行ったり来たりした。