線を引く

ゆっちゅの線を引くという行為を見ていると、時に、何かに突き動かされて、止むに止まれぬ情動に駆られているような感じを受けることがある。

勝手に手が動いてしまうと言った風に見える。

 

描き始めは、なにか形を描こうと、丁寧に線を引いている。

はじめに使うクレヨンは、必ず青で、近頃は黒と紫に関心があり、次にそれらを使う。

最初は自分で描き、そのあとクレヨンをジィに持たせて、描くように促す。

ジィが描かないとゆっちゅは怒り出して、クレヨンを投げ捨てたり、怒った顔でジィを睨む。

ジィが描くと、ゆっちゅはそれを見て続きを描くようにして、クレヨンのタッチに勢いを増す。

そして、紙をはみ出し、床に及ぶ。

「紙に描いて」と言うと、ゆっちゅは構わず床に描く。

注意をすればするほど、それをあざ笑うかのように、走りまわってイスや扉、食器戸棚のガラスにマーキングをして行く。

取り押さえようとすると、ジィやばあばの服、終いには顔や頭にマーキングし出す。

まさに、ゆっちゅに遊ばれているのだ。

怒って止めさせることは容易い。

しかし、遊んでいるということは、学習行為だから、ゆっちゅは何か学んでいるに違いなく、何か発見して興奮しているということは十分あり得ることなのだ。

線と結びつく、ゆっちゅの今の関心事と言えば、数字と文字ということになる。

 

クロマニヨン人が描いた約2万年前のラスコーの洞窟壁画を知る人は多いが、約7万年前にホモ・サピエンスに認知革命が起こったという。7.5万年前の南アフリカのブロンボス洞窟で発見された土偶幾何学模様が描かれていたことから、そのころに人類は抽象=言語を獲得したと考えられるのだそうだ。

 

ゆっちゅは、線を描くことで、抽象されたもので脳の活動を表出できることに気づき始めたのかもしれない。

線は、脳が生み出したものに他ならず、元来、自然界には存在しないものなのである。