「パブロフ的」コンテクスト〜風

10ヶ月の月齢を迎える頃、ゆっちゅは初めての夏を経験した。

暑さをしのぐために、風がよく通り抜ける橋の下に、抱っこして腰掛けるにちょうど良い大きな石があり、涼を求めて、そこへよく連れて行っていた。

まだ、歩けなかったゆっちゅにとっては、受動的に置かれた状況であった。

しかし、ゆっちゅは風を感じると、手足をバタバタさせて、顔には目を細め笑みを浮かべて、身体全体に悦びを表した。

脚を突っ張らせるゆっちゅを、座っていた石の上に、両手で支えながら立たせてみたら、力強く踏みしめるので、しばらく好きにさせていたら、跳ねる仕草を始めた。

ゆっちゅの、風と石と橋との馴れ初めである。

 

風と石と橋は、ゆっちゅの経験を統覚する上で、重要な役割を果たしてゆくと思われる。

なお「統覚」とは、自らが意識するものであることを直覚し、経験の一部分を意識して、それによって世界観を形成するという意味である。

もちろん、月齢10ヶ月のゆっちゅに統覚することができたかどうかはわからない。

ただ何度か通ううちに「橋の下に行こう」と言うと、喜ぶような素振りを返してくるようになった。

受動的な立場にありながらも、同じような経験を繰り返すうちに、その習慣は、ゆっちゅの経験にある種の型を植えつけてゆくことは間違いあるまい。

 

風は、風ぐるまや風車、扇風機、エアコンと、くるくると回る物に対する興味と、円形と動きを表す「クルクル」という言葉の獲得へとゆっちゅを向かわせた。

きっかけとなった経験は、音楽に合わせて突然踊り出し、狂ったように何度も自転運動を繰り返したことがあって、そのとき、動きは回転であることを体得したのであろう。

それ以降「クルクル」という言葉をよく使うようになり、しかもバリエーションをもつようになっていった。

「シークルクル」「アッシークルクル」は、最近ではあまり使わなくなったが、今だに意味がよくわからない。

ともかく「クルクル」は、動くもの全般を指し示すようになって行くのだが、自動車や自分の乗るベビーカーのタイヤや電車の車輪の動きに、今では強い関心を持っている。

人家のベランダにある風見鶏や鉄橋に備えつけてある風速計機などを、目ざとく見つけ「クルクル」と鬨の声をあげる。

電車が通過時に巻き起こす風を感じとったときや、サイクリングで下り坂を風を切って疾走するとき、ゆっちゅは歓声の声をあげる。

「シュー  カゼ  カゼ」