自我の成長

脳の神経細胞は、末梢神経を介して押し寄せてくる外界の差異の嵐を、言葉を使って同一化の原則に基づいて情報処理してゆく。

言葉を習得するに際しては、感覚受容と習慣の果たす役割が大きい。

複雑に結びついた脳神経網がシナプスの刈り込みによって整備が進む一方で、言葉による情報の処理が一定程度自分できるようになった状態を、サルトルの言葉を借りて「自己性の回路」ができ始めたと考えてみよう。

ここで自己性と呼ぶのは、いつもと変わらない自分を意識している状態、いわゆる自己同一性の意識のことである。

回路というのは、いつも同じという意識を保持するために、大脳皮質の一定の神経回路を電気信号が流れることを意味している。

「自己性の回路」の形成が、自我の発生ということになる。

これまでイヤイヤ期の子ども、すなわち2才から3才にかけての子どもにとって、自分という意識が生まれる過程を見てきたわけだが、言葉の習得には、多くの経験と長い時間を要することが想像される。

感情、しぐさ、行動などの旧皮質を使ったコミュニケーションは、表現者の思惑が瞬時に、かつ全体的に、そして一方的に相手に伝えられるが、まだ言葉を使いこなせない幼児にとっては、それが脳内活動をアウトプットする唯一の手段である。

それに対して、言葉を使ったコミュニケーションは、固定的な記号を用いて、継起的かつ分析的に意思疎通を図るという点で対照的である。

言葉は、もともと外界に指示対象を持たない脳内活動を外部に表出するためのもの、つまり脳内活動を示そうとするものであるから、それを使うには、使い方を習得しなければならない。

したがって、言葉をアウトプットするには、まず言葉の使い方のルールをインプットしなければならない。

幼児は、主に視覚的かつ聴覚的な感覚受容と、目や口など身体の運動操作を通して、大人の言葉の扱い方を真似し言葉で刻印しながら、さまざまなコンテクストを把握して行く。

情報を入力し、行動を出力し、失敗を重ね、フィードバックし、検証し、実行し直し、長い時間を費やして、コンテクストを理解する。

しかも、それはひとりで行なうものではなく、

親や周囲の人々と同調しながらの作業であり、そうした人間関係の中で、コンテクストの捉え方に影響を受けながら行われる。

そのような過程において、ある種のパターンが生まれ、性格ができて行く。

そして、自我の成長は、さまざまなコンテクストを横断し続ける限りは、生涯にわたって続きそれに応じて性格も変わって行く。

しかし、なかには一定のパターンに固着して、特定のコンテクストの存在しか認められず、性格が固定してしまう人もいる。

それとは対照的に、コンテクスト横断で身につけた習慣を変えることを学び、自我を超越して「則天去私」の高みに達する人もいる。

たがゆっちゅは今、受動的にコンテクストを理解していた段階から、能動的にコンテクストを踏まえながらコミュニケーションをするようになる段階にさしかかったばかりだ。

言葉がまだ十分ではないゆっちゅは、言葉以外の表現に頼ることが多く、いわゆる「イヤイヤ」は拒否する意思の表れと言うべきもので、イヤイヤ期は、コミュニケーションが始まったことの証と言っていい。

ゆっちゅは今、自我形成のスタートラインに立っている。