「重た〜い」

じつは、さんぽに限らずゆっちゅを抱っこするのは、それほど苦痛ではない。

耳もとで言葉を交わすことができるからだ。

言葉がなくても、ゆっちゅが目をキラキラさせいるのを間近で見るのは楽しい。

広い意味で考えれば、それもコミュニケーションと言えると思う。

ゆっちゅの好奇心を水先案内にさんぽすると、時間はかかるが面白い。

好奇心が希薄なときは抱っこをせがむことが多いのだが、そんなときのゆっちゅは重い。

コミュニケーションとは不思議なもので、言葉を交わさなくても心が通じ合っていると気持ちはもちろん体重も軽く感じるようだ。

 

ゆっちゅの最近おぼえた言葉に、「おもた〜い」がある。

重さを感じると「おも た〜い」と、いかにも重そうに言う。

「おも」と「たぁーい」との間に一拍おいて、前者が一拍半に対して後者を四拍ぐらいの割合で言う。

「重たい」という言葉は、ただ意味を伝えるだけなら音声に抑揚や強弱をつけることもしないし、強調したかったら、「とても」とか「本当に」とかの言葉を、大人ならつける。

しかし、ゆっちゅの言葉遣いには、感動が籠っている。

だから、それを聞く者は思わず笑みをこぼしてしまう。

でもゆっちゅは、「おも た〜い」と言いつつそれを持ち、それを持ちつつ、その重さを感じているふうだ。

 

好奇心を失ったゆっちゅを重たく感じるジィの思いを、ゆっちゅがおもんぱかれるようになるのは何時のことであろう。