さんぽコース
ゆっちゅと日々生活を共にしていると、ひとが成長するには実に長い時間が過ぎ去る必要があることが実感される。
まさしく悠久の時の流れのなかで生きて、巧まず焦ることもなく自然のままに過ごしているゆっちゅの「生」にふれるからだろう。
ゆっちゅは、自然の未来永劫つづく時の流れのなかで「知」をつむいで行く。
初心者が刺す縫い針の糸目のように不揃いにときどき言葉をつかった「デジタルな知」が顔を見せるが、やはりゆっちゅの行動の大半は、非言語的で情動的なコミュニケーションに支えられている。
久しぶりに田んぼに行くというので行った。
道路に沿って石垣が組んであるところから田んぼに上がるというので、手を貸してやった。
四、五回上り下りをした。
そのうち石垣に沿って田んぼの端を一人で歩きだし、石垣がジィの背丈ほどになったあたりで、ジィに上がって来いという。
「あぶないから降りなさい」と言っても「ぃやー」と言うので仕方なく「ここでは、高くてジィは登れないから、ぐるっと回って先のほうまで行って、低くなるところまで一人で歩きなさい」と言うと、大人しく言うことを聞いて歩いた。
しばらく田んぼで遊んだ後、また、田んぼの端を石垣に沿って歩き出した。
ジィは石垣に沿った下の道を歩いた。
また、ジィの背丈ほどのところに来たところで、「ここで おりる」と言う。
そのまま進むと家の方に戻ってしまうので、まだ、帰りたくなかったのだろう。
そこは、田んぼからもっと先の次の目的地に行くための道に、一番近い地点であった。
ゆっちゅが、さんぽのコースというコンテクストを正確に頭に入れていることに驚いた。
それはアナログ的な暗黙の知によるものなのであろう。