デジタル的な知①

「もしかして」と言いながら「あった」と、在ることを想定して使っているところが、ゆっちゅらしいのだが、「たしかに」「やっぱり」「まず」などの副詞系の言葉をよく使うようになった。

もちろん、ゆっちゅの周囲にいるコミュニケーションをよくとる大人たちが使うのを真似をしているのだが、使うタイミングが間違っていないところをみると、コンテクストを読みとってコミュニケーションをしているらしいことがわかる。

ゆっちゅは、周囲の人の反応を見て、「ウケ」がよいことは行為にしろ言葉にしろ、すぐに習得する。

「どうもありがと」という言葉も使うが、本当の意味はまだわかっていない。

ゆっちゅが風呂から上がるとき、ジィに入浴剤をわたすことが恒例になっている。

ジィは「ありがと」と感謝の意を示す。

しかし、ゆっちゅは自分が人に物をわたしたときは「ありがと」と言うものだと思っているようで、ものをわたした後で自分から「ありがと」と言う。

また「バイ バイ」という言葉も、別れるときに使うことはわかっている。

毎日のようにゆっちゅを家まで送っていって、別れぎわにその言葉を交わしている。

先日水泳教室ですべり台をすべってプールに入る順番がきてコーチに滑るように促されたら、「バイ バイ」と手をふってプールサイドを歩いてその場を立ち去ってしまって、周囲の人たちにウケたらしい。

コミュニケーションの切断に「バイ バイ」を使ったのは、ある意味で正しい。

 

これらのコンテクストの理解は、主に知覚や感情などで得たアナログな知によるものと考えられる。

そこへ言葉によるコミュニケーションが割って入りことでイヤイヤ期が訪れると思われる。

言語的コミュニケーションには、時間的に動いているものを、言葉という時間が止まったツールで表現するという難しい問題を抱えており、習得するためには並々ならぬ葛藤があると考えられる。