節分

さんぽコースにある神社で節分の豆まきがあった。

豆まきが始まって、ビニール袋に小分けにされた豆をパパが拾ったものを、ゆっちゅはまた撒いた。

大勢の人が豆の小袋を撒いて、大勢の人が争って拾う様を見てゆっちゅはマネをした。

自分で放り投げた豆袋を拾いに行って、また放りそして拾うを、豆まきの催し物がおわってもゆっちゅはやっていた。

 

豆まきが終わると、さんぽするといって大人三人を従えて、意気揚々と歩きだした。

パパとママとジィがちゃんとついてきているかをゆっちゅはときどき振り返って確認しながら先頭に立って歩いた。

とてもうれしそうだった。

こんな大がかりなさんぽはめったにないので、ゆっちゅも意気が上がるのだろう、ひとりでも隊を離れようものなら、すぐさま駆けつけて隊列に戻るようにうながす。

ゆっちゅは集団行動が好きだ。

みんなを引き連れて500mほど歩いて公園にやってきた。

最初はブランコだ。

パパに抱っこされてしばらく嬉しそうにしていた。

そのうち、パパはひとりブランコさせようと、ゆっちゅひとりを座らせて少し揺らしてやると怖がりもせず楽しむ様子を見せはじめた。

ブランコで自信がついたのか、すべり台の急な階段も積極的に自分から登り、ためらうこともなく素早く滑り降りていった。

背後からついていったジィに、下から自信にあふれた笑顔を見せて、早く滑り降りて来いとゆび指してきた。

同じようにして何度か滑ったあと、もうひとつ別な形のすべり台に走り寄って行った。

ジィが側にいるかどうかも確認せず、まっしぐらに階段を登って、上にあがってからようやくジィの姿を探し、いるとわかるとふたつあるすべり台のひとつにかけよって迷わず滑り降りていった。

遊びであっても何かを習得するときは、突然やって来るように側には見えても、当人はそのために用意周到な準備をしてきたに違いない。

大人であっもひとつの技術の習得は突然訪れるものだ。

もちろん技術の難易にもよるが、それ相応の時間、無為とも思える努力を重ねなければ、技は身につくものではないことをだれもが知っている。

それを考えると、経験も体力もまだ微弱なゆっちゅが、たかがすべり台、たかがブランコであっても、それを怖がらず難なくこなせるようになるまでには、意識の問題ばかりではなく、そのほとんどが無意識の領域に関わっている身体的な能力を身につける必要があったのだろうと思われる。