童心
風が少しあったが、陽射しに力があったので、ゆっちゅを連れてばあばと三人でローカル線で山間にある鉄道公園に遊びにでかけた。
蒸気機関車が一台常設されており、定期的に5〜6m前後汽笛を鳴らして走行させ余命を保っている。
機関車が動く日は、多くの大人や子供が訪れる。
ゆっちゅも一度見にきている。
しかし、その日は水曜日の正午絡まりとあって我々の他には公園には人の影はなかった。
ゆっちゅはひとしきり蒸気機関車を観察したあとで、すべり台やシーソーで遊んだ。
バネ付きのシーソーはひとりで楽しめる作りになっているので、ゆっちゅは気に入ったようだった。
すべり台は、螺旋のものとストレートのと二つの台が合わさったもので、ゆっちゅは螺旋の方を好んで滑り降りた。
ジィもゆっちゅと同じ回数を滑らされた。
すべり台には二つ円筒形のトンネルがあったが、ゆっちゅはまだトンネルは得意ではないやうなので、ジィが苦手克服のためにと思って率先してくぐったが、それぞれ一度やっただけで二度とはしなかった。
その頃には風も止んで暖かな陽射しのなか、機関車の観覧のための板敷の幅の広い五段ほどある階段席で身を横たえて、持っていった菓子やお茶で腹を満たした。
初めてゆっちゅと一緒に遊んでいるという感覚を覚えた。
久しぶりに童心に帰ったような気がしてのんびりした気分に浸った。
出来事の流れはすべて、文化の媒体を通じて個人に伝えられると言う。
すべり台という文化が、ゆっちゅという触媒によって、幼い頃のジィの無意識の記憶を呼び覚ましたようである。
これを暗黙の知というのだろうか。
遊びをせんとや生まれけむ
戯(たわぶ)れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ