予想する能力

週のうち五、六日は、同じことを繰り返していることが多い。

さんぽや食事の世話、入浴、家への送り届けなどだ。

例えば入浴中には「右足洗います、12345、ハイ次は反対の足、12345、ハイ、左の手って、12345、・・・ハイ、次はオシリ・・・」と洗う個所を言葉にする。

また、風呂から上がるときは「10本アニメやろう」と言うと、近ごろはゆびを折ったり伸ばしたりして二十まで数える。

因みに「10本アニメ」は、「おかあさんといっしょ」というテレビ番組のなかで、10本の棒が協力しあって困難を克服したり、仲良く遊ぶ様子を描いたアニメーションである。

もちろん、習慣となっている事柄はジィとの付き合いだけではない。

そんな習慣となっている日々の生の営みのなかで、ゆっちゅはコンテクストを読み、しだいに過去と未来へ時間感覚を広げ、統覚の習慣をつけてきているのだろう。

近ごろは、聞き分けもよくなり、これからすることをゆっちゅが理解できる言葉であらかじめ予告して置くと、おとなしく言うことを聞くようにもなった。

それは言葉の習得がかなり進んでいることを物語っている。

言葉がゆっちゅの混乱した心の状態に秩序をもたらすこともわかっている。

機嫌の良くないときでも、ゆっちゅの口から言葉が出るとすぐに機嫌は良くなるのも、やはり言葉の力だろう。

 

そんなゆっちゅも、ときどき文化の匂いがしない場所に好んで行くように思えることがある。

今日は珍しく河原の奥に入った。

昨年の雨台風があってからは、河原の奥の方まで足を延ばすことがなかった。

ゆっちゅも何か恐れのようなものを感じていたのかもしれない。

ようやく土手に近いところの川岸に降りて、石投げ遊びをするようになったのは最近のことである。

台風の前にショベルカーやダンプカーが川底から石を採取する作業が連日にわたって続いていたのを見に行ったり、作業が終了して広い範囲にわたって綺麗に整地された後に遊びに行ったりした頃の風景とはまったく様変わりしていた。

ゆっちゅほどある大きな石がそこここに転がっており、土砂と石でうず高く盛り上がった地形は自然の力の驚異の痕跡を生々しく残しており、一瞬、石と砂の荒野に迷い込んだような錯覚を覚えた。

はじめは抱っこをせがんでいたゆっちゅだが、慣れてくるとひとりで歩いた。

ひと足ひと足、足の置き場を選んで歩き、自分の身体ほどの大きさの石に立ったときのゆっちゅの姿には、時の流れとたくましい成長のあとを見た気がした。