「楽しみぃー」

ジィの顔を見てにっこり笑ったり、両目を強くつぶって愛想笑いをしたり、かと思えば鋭いまなざしでジィのこころを読み取ろうしたりする一個の人としてのゆっちゅがいる。

生のさまざまな刺激に対して、それぞれ異なった反応しながら複雑な感情のパターンを人との間に織り成してゆく。

本能が組織化されて情感となってゆく過程で、言葉や芸術や科学技術は大きな役割を果たす。

 

ゆっちゅが今興味を抱いている自転車が置いてある庭に小さな畑を作っているのだが、土にも関心を抱いているので、クワを使って土を耕して見せた。

今年はトマトとナスとキュウリを栽培して見せてようと思って、今から「トマトとナスとキュウリを植えよう」と、ゆっちゅに話しかけている。

ゆっちゅにとっては、自転車もクワも文明の利器、人類が生み出した科学技術の結晶、つまり文化である。

また、前回のNHKの朝の連続ドラマ「なつぞら」や今回の「スカーレット」のオープニングタイトルバックの映像を食い入るように見る。

なつぞら」ではドラマの内容にはほとんど無反応だったが、「スカーレット」では次の場面に反応を示した。

息子が父の大切な大皿の陶器を割ってしまうシーンで、身じろぎせず視線が虚空に固定される、ゆっちゅが感情を爆発させる寸前に見せる表情が現れた。

ゆっちゅ自身も意に沿わないことがあると、物を投げて、投げてから「投げない」と自問自答して湧き上がる感情をコントロールしようとして、抑えきれなくなると怒りを爆発させることがよく見られる。

ドラマに共感したと思われるわけだが、テレビドラマというメディアによって情感を共有していることは間違いあるまい。

さらにオープニングのタイトルバックの映像はドラマ内容をシンボリックに表現するために密度の濃い美的表現が試みられるものだ。

タイトルバックの映像と音楽を感受しているときのゆっちゅの顔には感動している様子がうかがえる。

そこには何か美的なものが無意識下にある本能を組織化し、心地いい情感として意識へのぼってゆく様が想像される。

 

ゆっちゅは近ごろ、昔から変わらないピアノの買取りのコマーシャルのなかの文句「その 通ぉーり」にはまっている。

前後の脈絡なしにこの言葉を言うと、何が面白いのか必ずと言っていいほど笑いながら復唱する。

今後、どのような状況で、どんなタイミングでゆっちゅがどんなコンテクストを読んで、この「その 通ぉーり」を使うのだろう。

「楽しみぃー」、因みにこれもゆっちゅの愛用語である。