アリの冬眠

文化的なものへの関心が高まるほど、自然から遠ざかる度合いが大きくなる。

それは当然のことなのであろう。

聞き分けが良くなるということは、人の世の約束ごとに順応して行くということだ。

おしゃべりを覚え、おとなのおしゃべりから世界の見方を学びとる。

気が遠くなるほど長い時間をかけて、世界像を構築するために、大人たちのおしゃべりのコンテクストを解読する。

「子供と接するおとなはみな、たえまなく世界を描写する教師であり、その子が描写されたとおりに世界を知覚できるようになるまで、その役目を果たしつづける(メキシコ北部に住むヤキ族の老人のことば)」

ゆっちゅの顔には、以前のような鋭く射抜くような目の輝きは影をひそめ、柔和さがよく現れるようになった。

そして、それは相手の表情や行動から、自分の対応のしかたを直感的に選び取ることができるようになってきたことと関連するみたいだ。

自分を取り囲む大人たちとのコミュニケーションのアクセス・コードがわかるようになってきた分、自然への関心は意識の上では稀薄になってきたかも知れない。

子供用の椅子に座ってアンパンマンせんべいをかじりながら、背もたれに身を反りかえらせて「いい感じ」という言葉を連発するのがまるでオヤジ風で周囲の笑いを誘っていた。

夕方、河川敷のグランドにサッカーしに行ったとき、ゆっちゅがまたもやしゃがみ込んで「アリ」と言った。

最近よく見る行動なのだが、そこにはアリの姿は見えない。

ジィもまた、例によって「まだ寒いから土の中でネンネしてるんだろう」などと応えてはみたものの、ゆっちゅの思惑がみえない。