走ってダイブ
おしゃべりが止まり、身じろぎもせず、目の焦点は結ばれることなく中空にとどまったままになっているといったことが、ゆっちゅにはときどきある。
耳は外界の音を受け入れてはいるが、特定の音を聞き取ろうとしている様子ではない。
すべてが止まっているといった風である。
寝ているわけではないので、当然意識はあるはずだが、なにかを意識しているそぶりはない。
寝入りばなや目覚めのときの、意識と無意識とのはざまを彷徨うというのとも違う。
ゆっちゅは起きているときには、大人とのおしゃべりを通して大人の表情を見、大人の視線の先にあるものを見ようとする。
そして、時折りひとり言を言うように「ゆっちゅ語」をつぶやく。
目から入る情報と耳から入る情報を一致させるべく日々脳の神経回路は調整に余念がない。
しかし、パソコンがセットアップされたり、リセットされるときのように空虚で沈黙した時間が、ゆっちゅにも訪れる。
そんなときは、脳が新しいアプリを取り込んでバージョンアップするために必要なアルゴリズムの手続きを履行している最中です、とでもいうような無表情な顔つきをしている。
ゆっちゅの遊びのひとつに、「走ってダイブ」がある。
家のなかでいちばん遠い端から「よーいドン」のかけ声で駆けてきてジィの懐に飛びこむというものなのだが、はじめの頃は自分で「はやーい はやーい」と言いながら自画自賛しながら全力で駆けていた。
それが近ごろ、走りはスローモーションで自分の後ろ足のフォームを確認するようなそぶりをしながらゆっくりとした動作で近づいてきて、ジィの手が届くところまで来ると、「はやーい」と言いながらダイビングして身を預けてくる。
それを四、五回繰り返す。
うれしそうに「はやーい」と言うので、冗談を言っているのかとも思ったが、冗談がわかるわけもないし、わかっているならなおさらのことだが、ともかくもゆっちゅは何か速いものを感じ取っているとすれば、ゆっちゅは自分で「はやい」という言葉の意味を知ってつかっていると言っていいわけだ。