ゆっちゅの魂
あと一月でゆっちゅは三歳になる。
ゆっちゅはジィジやバァバなど、じぶん以外の人と言葉を用いて遊ぶことができるようになってきた。
「あっちへ行くよ 座る」は、あっちへ行ってイスに座って、自分のそばに来ないでという意味なのだ。
「・・しない」という否定的表現と並行して、このような他者の行動を規制する言語表現が多用されるようになった。
最近ゆっちゅはジィが仰向けに寝たりうつ伏せになったうえに立ち上がってジャンプして飛び降りる遊びや、ジィに両手をつかんでもらってジィの大腿から腹胸へと足をかけ身体を一回転させる技を習得しようしている。
それをするためにジィを呼ぶ。
「ジィジこっちくるよ」「おねがいします」「ジィジここ」と言ってゆっちゅはじぶんの傍を手でたたく。
そこに立っていると「すわる すわる」とゆっちゅはいらだつ。
ジィが座ると、思惑とは違うと怒りだしシャツをひっぱって引き倒そうとする。
結局は寝転がってジャンプ台になって欲しかったようだ。
しかし、ジィの身体のうえに立つとゆらゆらと揺れて不安定になるのに、そこでバランスをとるのがどうも楽しいとみえる。
それは、近ごろ飛び跳ねたりジャンプしたりして空中で体をひねったり反転したりするのをおもしろがるようになってきたことと関連する運動神経の発達の兆候かもしれない。
しかしまた一方では、ゆっちゅは思いついたことを実行するために相手にしかるべき役割をしてもらうための指示のしかたに苦心もしている。
今ゆっちゅは身体の成長にともなってじぶんの身体を意識して操作する能力が高まってきており、身体を動かす喜びに内から突き動かされ活発に活動するようになってきている。
それにともなって経験の質も量も格段に高まってきているようだ。
そうした経験をかさねるにしたがい物事がいろいろとわかるようになって外界からの刺激も多様で複雑なものになり、ゆっちゅの脳ではそれにあわせて神経回路も急速に増えたり、組み換えが起こったりと、もちろん「シナプスの刈り込み」も盛んに行われ日々大きく変化しているのであろう。
そして、おもちゃなど物を相手にするのとは異なり、じぶんがしたいとおもうことをするためには、人を利用しなければならない場合があることもわかってきて、そのためには言葉で指示しなければならないことにも気づきはじめたようだ。
ゆっちゅはこれから長い時間をかけて試行錯誤をくりかえしながら経験を積み重ねて言葉を一つ一つ習得してゆくことになるのだ。
そんなゆっちゅをジィは応援したい。
「三つ子の魂百まで」と言い習わされた言葉の意味を自分なりに考えてみたいと思って、孫の成長をブログに書いてきたわけだが、もうそろそろ潮時のようだ。
これといって結論めいたものをつかみとったという確信はないが、この一年あまりのあいだにゆっちゅが全身全霊で獲得してきた言葉は本物だと感じている。
そしてその言葉を通して、ゆっちゅを人として一個の存在として感じられたことはジィにとっては大いなる収穫であった。
「後生恐るべし」という孔子の言葉もあるように、ゆめゆめ軽んぜぬようこれからも良き遊び相手としてゆっちゅと付き合ってゆこうと思う。
「ゆっちゅとジィ」のブログは、これをもって終了します。
ジィの拙い文章にお付き合いくださいました皆様、誠にありがとうございました。