やめろと言われても

ダメと言われるとやらずにいられないのか、ゆっちゅはジィを困らせて喜んでいる。

ゆっちゅとアパートの前にある駐車場でサッカーをしていたとき、ゆっちゅの蹴ったボールが道路の方に転がって行くのをジィが慌てて走って取りに行ったことが面白かったようだ。

それから度々、ゆっちゅはボールを抱えて道路に向かって走り出し、前方に放り出したボールを道路に駆り出そうとキックするようになった。

その都度、ジィは走り出し阻止する。

そしてその都度その都度、危ないからやってはならないと説教するのだが、ゆっちゅに聞く耳はない。

ヘラヘラ笑ってますます図に乗って仕掛けてくる。

何度もやっているうちに、キックではジィに止められてしまうと分かると、次にゆっちゅはまるでラグビーでもするようにボールを両手で抱えて、道路の前で両手を広げて立ちふさがるジィのサイドを突破しようと右に左に進路を変えながら突進してくるようになった。

再び外遊へ

ゆっちゅの気持ちは、再び外遊へと向かい出した。

トンネルを通って山のふところに入った。

ゆっちゅの心を突き動かすものが強かったのだろう、自分から歩いてトンネルに入っていった。

山の上り下りの坂道もしばらくぶりのことで刺激的だったのだろう、足取りも力強く駆け上がり駆け下りた。

そして、目に見えるもの耳に聞こえるものを即言葉にして行く。

ゆっちゅは一年の間に経験して知っている全てのものを一つも残さず言葉にしようとしていた。

久しぶりに訪れた山は五月の新緑につつまれていた、そして、ゆっちゅの周囲は湧き出す言葉であふれていた。

 

ゆっちゅに家に引きこもる傾向があらわれたころ、ミニカーが箱に入っていることに強いこだわりを見せるようになった。

また、大型のごみ収集車のオモチャにいろいろな小物を入れる遊びに夢中になったりもした。

砂や石をタンクローリ車に入れたりブルドーザーですくってダンプカーに載せたり、いずれもユーチューブを見てまねをするようになったようだが、中に何かを入れることができる器状のものに関心を持って、どんなものにどんなものが入るか試そうとするようになった。

あるとき、指が入る程度の穴に関心を示したので「穴っぽ」という言葉を教えたら、指を突っ込んでは「あなっぽ あなっぽ」とうれしそうにわざわざ確認をとるようにジィの顔をのぞきこんだりした。

自分の着ている服にポケットがあることにも関心を持つようになったので「ポケット」と言うんだよと教えると、すぐにマスターしようと「こぺっと こぺっと」とポケットに手をつっこんで喜んで飛び跳ねていたこともあった。

 

そしてこの頃、ばあばと二人でゆっちゅを散歩に連れ出しに行くのだが、ばあばが一緒だとゆっちゅは積極的に誘いに応じ元気に外へ飛び出してくる。

三人で歩いていると、ゆっちゅは同じ話題を取り上げて会話しようとしているような言葉遣いをする。

散歩の終わりには、以前よくしたようにジィの漕ぐ自転車に乗っかってのサイクリングの誘いにも応じるようになった。

ゆっちゅが引きこもりの傾向を見せる前によく走ったコースを行く。

その頃の記憶も戻ってくるのだろうか、五月の風を顔に受けながらゆっちゅのおしゃべりの速度も上がってきて、口からは多彩な言葉が後をついて出てくる。

ペダルを漕ぎながらそれを聞いていると、わずかな間に実に豊かな経験をし着実に学習をしていることが伝わってきて感動を覚える。

 

 

寝技の研究

柔道の技には大きく立ち技と寝技という区別がある。

ゆっちゅにとって立ち技の習得の第一歩は、歩行であった。

歩けるようになると、河川敷グランドを走り回わり、階段の上り下り、坂道の駆け足、さらにそれにも飽き足らず、道無き道を求めて藪の中や石だらけの河原に足を踏み入れたがるようになっていった。

転んでも泣きもせず、転ぶのを恐れるそぶりも見せず、並走するジィの方に顔を向けたまま駆けまわるゆっちゅにハラハラしながら、よく転ばないものだと感心させられた。

外へ外へと意識が拡張して行くゆっちゅにとって、散歩はいわば外遊と言ってよく、柔らかく鋭敏な感覚に訴えてくる多種多様な刺激を通して立ち現れてくる外界とみずからとの関係をどのように構築してゆくのが良いのかを探究する学習の場であったと言えよう。

それが一転、ゆっちゅの遊びの傾向が室内のものに移行するようになると、ぬいぐるみにチューしたり抱きしめたり、寝転がってミニカーとお話ししたりして、ゆっちゅが次第に「おたく化」して行った。

そして、ジィに戯れる仕方も寝技の傾向が強まっていった。

それまでのゆっちゅは立った状態から抱きついてきたり、走ってきて反転して自分の身体をジィに預けるかたちで絡んできたのが、身体を横たえた状態で傍らに寝転んでいるジィの身体に絡みついたり、顔を近づけてきて何か思惑を持った目つきでジィの目の奥をのぞき込んだりするようになった。

寝技の傾向が高まると同時に、ゆっちゅの身体の操作性の自由度が一段と上がってきたように感じられた。

そして、ときどき「ハイハイ」をやって見せるようになり、ハイハイしながら以前よりも自由に身体を動かせることを実感して、みずからの成長を照れながら自慢しているようなアイロニカルな笑みを投げかけてくる。

 

巣ごもり

「巣ごもり」という言葉がある。

鳥などが巣にこもっていることを言い、俳句の「春」の季語なっている。

散歩をしなくなってからのゆっちゅは、「巣ごもり」の状態にある。

ゆっちゅがある時からぱったりと散歩に興味を示さなくなったのはなぜか、気になっていた。

散歩の初めのころは、同じコースを歩きたがっていた。

途中からは、見知らぬ道を歩きたがるようになったが、自分が知っているものを見つけては大喜びをしていた。

そして散歩に行こうとしなくなった。

今では家から出るには、目的がなくてはならなくなった。

サッカーしに河川敷に行くとか、新しくできた橋に行くとか、砂遊びに外に出るとか、動機が必要になった。

 

散歩をしていた頃のゆっちゅの一番の関心事は

同じものを見つけることだった。

それが電柱であったり、自動車であったり、看板の文字だったりした。

あるいは、昨日と同じところにある橋や踏み切りであったり、黄色いクルマやミキサー車だったり、雪をいただいた高い山だったりした。

ゆっちゅは同じものを見ると、言葉を知っているものは名前を言ったり、言葉を知らなくても指をさして叫んだりして、いつしか「おんなじ」と言って、同一性を意識するようになっていった。

その象徴が「ぼうしやま」という言葉だった。

雪をかぶって周囲の山々からただ一座抜きん出た高い山を、自分がかぶる帽子との比喩で意識したときにゆっちゅが口にした言葉である。

そのとき、それまでの自分が目にしたり手で触ったりしたものと、耳から入ってくるジィの言葉を結びつけることで、おうむ返しにものごとを捉えていた段階から一歩前進した意識を持つようになったと言えよう。

ゆっちゅの「ぼうしやま」は隠喩の匂いがする。

そして、この言葉はゆっちゅが歩きはじめ自分の足を意識するようになったころ、大きな橋桁を「アシ アシ」と盛んに言っていたことを思い起こさせる。

ゆっちゅにとっての散歩は、見る聞くを含め自分の身体感覚との関連で世界を隠喩的に捉えるための探索だったように思える。

 

そして、最近になって散歩をしなくなったゆっちゅは、家で遊ぶことが中心となるなかで文を作りはじめるようになった。

それが「お仕事 くるよー」である。

これはゆっちゅが自分の頭で理解する意味を託して言葉を使っている例の一つと考えられる。

「仕事」が主語で、述語が「来る」という文構成になっていて、ゆっちゅの頭のなかにあるイメージを表現したものにちがいない。

なぜならジィにはその意味が伝わらなかったからだ。

しかし、ゆっちゅはその言葉に刺激されて広がるイメージの世界で、ミニカーを使ってひとりで遊ぶことができていたのである。

「お仕事 くるよー」

これもユーチューブで学んだようだが、ダンプカーや救急車などの「働らくクルマ」を説明する映像からゆっちゅなりに理解して、「お仕事」という言葉を使うようになった。

それぞれのクルマが担っている役割を果たすことを映像では「お仕事」と言っているのだろうとジィは想像しているが、定かではない。

「消防車さん お仕事 くるよー」

「ごみ収集車さん お仕事 くるよー」

と言いながらゆっちゅは、一台ずつクルマの向きを全て前方にむけて横列にそろえてゆくという遊びをする。

ゆっちゅのミニカーは今や50台近くに及ぶ。

 

「お仕事」という言葉を、ゆっちゅはかなり早くから使っていた。

パパが不在の時に「パパは?」と聞くと「パパ お仕事」と言っていた。

ママが仕事に行く際にも「ママはお仕事だよ」と言うと、泣いて後追いすることもなくガラス越しにバイバイしながら見送っていた。

「お仕事」という言葉はゆっちゅを聞き分けのいい子にしていた。

その言葉を今、ゆっちゅはクルマ遊びの中で使っている。

また「くるよー」という言葉は、ゆっちゅと道を歩いていてクルマが近づいて来たとき「クルマが来るから端っこに行こう」と言うと、「端っこ 端っこ」と言いながらゆっちゅは道の端に移動するから、自分のところにやって来てその姿を見せるというような意味では理解していると思われる。

「お仕事 くるよー」いう文は、仕事がないところに仕事の依頼がくるというのが常識的な受け取りかただが、ゆっちゅにとって仕事という言葉が身近にいるべき人が不在であることを意味しているとすると、ゆっちゅが待ち望むものが現れるという意味合いも出てくる。

果たしてゆっちゅはどんな意味で言っているのか、謎!

 

くるま音頭 だよ〜♪

ママは眠りから目覚めると、ゆっちゅがママのまわりにミニカーをたくさん並べて遊んでいたことを示す痕跡をよく目にするようになったと言う。

寝たふりをして薄眼を開けて見ていると、ゆっちゅは歌を歌いながらひとりで遊んでいることもあると言う。

ゆっちゅがいちばん好きなのが「くるま音頭」だ。

「くるま くる くる カー  カー  カーアァー🎶くるま おんど だよ〜♪」

因みにこれは乗りものを特集したDVDの中にある挿入歌で、ゆっちゅが習得した言葉でも比較的初期に覚えた言葉のひとつである、自動車を見て「カー」と言うきっかけとなった歌である。

また、近ごろはユーチューブでミニカーの遊び方を盛んに研究していることもあって、ゆっちゅは物語のなかで遊ぶようになってきたようだ。

「くるま くる くる カー  カー  カーアァー🎶くるま おんど だよ〜♪」とゆっちゅはひとりで鼻歌を歌い、お話をしながらミニカーを並べて遊ぶまでになったのである。

 

 

シャウト

ゆっちゅが大声を出すようになった。

しかもそれが遠慮がちにしているところが可愛い。

「おふろあがるよー」

「おふろ」「あがる」「よー」と尻上がりに語気を強めてゆくのだ。

そして「もう一回」と言いながら、もう一回叫んだ方がいいかなと問いかけるような視線をジィに送ってよこすので、ジィは要望に応えて「もっと大きな声で叫んでみな」と言うと、ゆっちゅは更にボルテージをあげて「おふろあがるよー」と叫ぶ。

ゆっちゅは自分が大きな声を出せることに満足すると同時に、自分が大声を出していることに驚いているようすだ。

そして、ちょっと自分に自信を持っている様子が微笑ましい。

ゆっちゅはシャウトしながら、なにか自己を意識して確認しているみたいだ。