2019-01-01から1年間の記事一覧

自我の成長

脳の神経細胞は、末梢神経を介して押し寄せてくる外界の差異の嵐を、言葉を使って同一化の原則に基づいて情報処理してゆく。 言葉を習得するに際しては、感覚受容と習慣の果たす役割が大きい。 複雑に結びついた脳神経網がシナプスの刈り込みによって整備が…

イヤイヤとコンテクスト横断

ゆっちゅのイヤイヤを見ていると、コンテクスト(文脈)の横断を試みているように思える。 さまざまなコンテクスト(文脈)を読み継なぐことができるのは、事物が自然界に属することからくる性質と、事物が人間世界で流通することで帯びる象徴的な意味も同時に担…

「ゆっけ」は「ゆっちゅ」

ジィの家のトイレの扉の横の壁に、一本の青いクレヨンで描いた線がある。 家のそこここに絵を描きまくった時期に、ゆっちゅが描いたものだ。 しばらく前から、その線をゆび指して「だれ かいた」と、ゆっちゅが言っていたことに、今になって気づいた。 そし…

強情っぱりなゆっちゅに、手こずるジィ

一昨々日のさんぽでゆっちゅは、今までになく長く激しく泣いて暴れた。 何が気に障ったのか、ジィには察しがつかなかった。 ここ数日ずっと続いている、ゆっちゅのお気に入りのコースを辿っていて、ジィがゆっちゅの求める何かをしなかったことが原因らしい…

コミュニケーションとダブルバインド

コミュニケーションは、コンテクスト(文脈)を前提として成立する。 単に言葉を話すというのでは、通り一遍の言葉の往来があるだけで、「意味」のある会話にはならない。 今自分がどのような状況に置かれていて、どのような行動を求められているかがわかるこ…

コンテクスト横断能力

ゆっちゅにとって、コンテクストは一定ではない。 水泳教室のときは、そこでやるべきことがあり、英語で遊ぼう教室のときは、そこでまたやるべきことがある。 ジィとのさんぽのときは、そのときでまたやることがある。 「やるべきこと」と言っても、まだ幼い…

第二次的学習

ゲームとは、勝負、または勝敗を決めることをいうが、そこには守るべきルールがある。 サッカーにおいては、手を使ってはいけないことのルールがあるし、バスケットボールでは、ボールを持って移動してよい歩数が定められている。 勝敗を競い合うスポーツは…

「反復学習」のコンテクスト〜言葉

今のゆっちゅにとっての反復学習の最たるものは、言葉である。 さんぽの前半は、ほぼ一定のコースをたどり、後半は、ゆっちゅの希望に沿って行くが、目下の興味は棒を使った土掘りみたいなことをしている。 どうも「中」の研究、内と外との違いを調べている…

「道具的回避」の学習コンテクスト〜行動

言葉は、人間にとって最も基本的な道具である。 言葉が分かるか否かは、人の行動に決定的な影響を及ぼす。 ゆっちゅはさんぽ中、交差点に差しかかると、立ち止まって車が来ないのを確認して「オッケー」と言ってから踏みだす。 また、道を歩いていて、車のエ…

「道具的報酬」の学習コンテクスト〜足

足は、ゆっちゅが手に次いで関心を持った身体部位だ。 足の意識を持ち始めると間もなく、ゆっちゅは電柱やカーブミラーの支柱、橋脚、門柱、家の柱を見ると「アシ」と盛んに呼称するようになった。 ゆっちゅの言う「アシ」は、いずれも上に何らかの物あって…

「道具的報酬」の学習コンテクスト〜手

道具は手の延長である。 TPO(時と場所と場合)をわきまえるという言葉がある。 それは、コンテクストを理解することと言い換えてもいい。 ここで言う「場所」は、結婚式とか卒業式といった「特別な行事、儀式」と考えよう。 ところで、ゆっちゅが道具を理解す…

「パブロフ的」コンテクスト〜光と音

風によって機能を、石によって実質を、橋によって構造を学んだゆっちゅだが、それよりも前に、ゆっちゅは、木の間を飛び歩く鳥のさえずりに耳をすませたり、木洩れ陽と新緑のダンスに目を輝かせたり、遠くの鉄橋を渡る電車の音に耳をそばだてたり、せせらぐ…

「パブロフ的」コンテクスト〜橋

ゆっちゅに知性の萌芽を感じたのは、橋脚を「アシ」と呼んだ時だった。 ゆっちゅの「踏み石」がある橋の下は、トンネル状になっていて、よく風が通り抜ける。 踏み石は、大きな橋の橋脚の一つが分厚いコンクリートの壁のようになっている側にあって、傍らを…

「パブロフ的」コンテクスト〜石

ゆっちゅにとって、石はどういう存在なのだろう。 さんぽしていて、ごく小さな石を見つけると、親指と人さし指の二本でつまみ上げては、それを左手に乗せて握りしめている。 大きめの石は、ジィにくれる。 たくさん石がある所では「これ、ちっちゃいね」「こ…

「パブロフ的」コンテクスト〜風

10ヶ月の月齢を迎える頃、ゆっちゅは初めての夏を経験した。 暑さをしのぐために、風がよく通り抜ける橋の下に、抱っこして腰掛けるにちょうど良い大きな石があり、涼を求めて、そこへよく連れて行っていた。 まだ、歩けなかったゆっちゅにとっては、受動的…

性格

自我とは、他者の立場からは、個性とかキャラクターとして捉えられる、その人固有の性格のことである。 真面目でおとなしく責任感が強い人こそが、企業が求め、公務員としてもふさわしい人物像の典型であった、いや、今もそうかもしれない。 それは、日本人…

遊びは「否定」の学習

在るものを、無いものとするには、否定することができなければならない。 自分の周りがすべて在るものばかりだったら、「否定」は、どこからやってくるというのだろうか。 勿論、脳からだ。 言葉を持たない動物も幼児も、ある行為を拒否する行為はできても、…

自分で「イヤイヤ期」と言う

ゆっちゅの新たなマイブームは、ジャンプだ。 コンクリートでできている、高さ30センチ巾10センチほどの田んぼの畦から飛び降りるのにハマっている。 まだ、ジィの手を離そうとはしないが、時々はひとりで飛ぼうという意欲は見せる。 ママの話では、その成果…

集団行動

ゆっちゅの近頃のお気に入りの遊びは、みんなを引き連れて、二階の和室と隣の洋間を「院長回診」よろしく、儀式的に巡回して回ることだ。 全員を、一階の部屋から一人ひとり手を取って誘い出し、最後に必ず自分で一階の扉を閉める。 階段を登るときは、まず…

鉄橋愛

愛は、主体と客体との癒合的関係であるはずが、なにごとも対象化し実験にかけ原理をつかみ、機械論的世界観で搦め捕ろうとする主体の異常な情熱は、他者に対する愛情を変質させる。 他方、主体と客体を峻別するがゆえに自然から疎外されてしまい、孤立した主…

高みをめざす自我

心身のバランスが取れた人間像は、現代社会においては、一つの理想像であろう。 しかしながら、身体が自然の一部、いや自然そのものであることに気づいている人は意外と少ないように思う。 普通、意識している身体は、心の領域に属しており、身体全体から見…

近代的自我

近代的自我が、近代的工業化社会と一心同体とものであるというようなことを論じている本を読んだ。 言いかえれば、今日の高度に科学技術が発達した社会で生きてゆくには、それにふさわしい自分の意識を持つ人でなくてはならない、ということらしい。 早い話…

やーだー

言葉を使うときは、立ち停まるか、抱っこをする。 自分から歩きたいと思って歩いているときは、言葉を発することは少ない。 簡潔に言うと、今のゆっちゅには、そのような傾向がみられる。 同じ場所を何度か歩くと、初めは多かった言葉数も少なくなり、抱っこ…

身体知

学習は、行動することと切り離すことができないということが、ゆっちゅを見ているとよくわかる。 一緒に歩いていて、いつも驚かされるのが、障害物を回避するときの仕方である。 よそ見している歩いているゆっちゅが、そのまま進んで行くと、少し突き出した…

日常と非日常

しばらくの間、さんぽコースを固定していたところ、ゆっちゅとの間に不思議と会話らしきものが成立するようになった。 例えば、踏切に行こうと言うと「カンカン」とか「カンカン いこう」などと言うようになり、行くと電柱を数えたり、枕木を固定する石を数…

台風のツメ跡

台風で水をかぶった河川敷の風景は一変した。草木はなぎ倒され、流木があちこちに打ち上げられている。 台風が来る直前に刈り整えられた草っ原だけは、水が引いた後も以前と変わらず青々としている。 それが、まだダムの放流が続いているため茶色く濁った水…

言葉を使う

さんぽコースを固定してから、点と線だったさんぽが、移動中は抱っこでナンバープレートの文字と数字の読み聞かせとゆっちゅが盛んに話しかけてくるようになったので、その相づちを打つのに忙しくなった。 ゆっちゅが抱っこから降りて遊ぶ場所が、点から面に…

テレビにパンチ

二日前のことである。 ラグビーのサモア戦にみんなが夢中になって、誰も自分をかまってくれないことに腹を立てたゆっちゅは、遊んでいたプラスチックのクルマのおもちゃを持って、つかつかとテレビに近づいて画面をガツンガツンと殴打した。 正義は勝つ、で…

わがままを言う

わがままをいうことが、自分との関係で物事を知ろうとしていることであると考えるなら、イヤイヤ期の子どもは、まさしく自我形成の途上にあると言えよう。 外界からの感覚情報に対して行動を取ろうとしたり、自らが無意識におこす運動によって送られてくる運…

シナプスの刈り込み

イヤイヤ期の多くは、2歳〜3歳に訪れると言われている。 受精後17週で、大脳の神経細胞150億個の基本構造はほぼ完成するらしい。 そして生後1歳~3歳、大脳は外界の刺激を受けて、ニューロンとシナプスのネットワークを広げて行く。 しかし、始めは接続は…