2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「道具的報酬」の学習コンテクスト〜手

道具は手の延長である。 TPO(時と場所と場合)をわきまえるという言葉がある。 それは、コンテクストを理解することと言い換えてもいい。 ここで言う「場所」は、結婚式とか卒業式といった「特別な行事、儀式」と考えよう。 ところで、ゆっちゅが道具を理解す…

「パブロフ的」コンテクスト〜光と音

風によって機能を、石によって実質を、橋によって構造を学んだゆっちゅだが、それよりも前に、ゆっちゅは、木の間を飛び歩く鳥のさえずりに耳をすませたり、木洩れ陽と新緑のダンスに目を輝かせたり、遠くの鉄橋を渡る電車の音に耳をそばだてたり、せせらぐ…

「パブロフ的」コンテクスト〜橋

ゆっちゅに知性の萌芽を感じたのは、橋脚を「アシ」と呼んだ時だった。 ゆっちゅの「踏み石」がある橋の下は、トンネル状になっていて、よく風が通り抜ける。 踏み石は、大きな橋の橋脚の一つが分厚いコンクリートの壁のようになっている側にあって、傍らを…

「パブロフ的」コンテクスト〜石

ゆっちゅにとって、石はどういう存在なのだろう。 さんぽしていて、ごく小さな石を見つけると、親指と人さし指の二本でつまみ上げては、それを左手に乗せて握りしめている。 大きめの石は、ジィにくれる。 たくさん石がある所では「これ、ちっちゃいね」「こ…

「パブロフ的」コンテクスト〜風

10ヶ月の月齢を迎える頃、ゆっちゅは初めての夏を経験した。 暑さをしのぐために、風がよく通り抜ける橋の下に、抱っこして腰掛けるにちょうど良い大きな石があり、涼を求めて、そこへよく連れて行っていた。 まだ、歩けなかったゆっちゅにとっては、受動的…

性格

自我とは、他者の立場からは、個性とかキャラクターとして捉えられる、その人固有の性格のことである。 真面目でおとなしく責任感が強い人こそが、企業が求め、公務員としてもふさわしい人物像の典型であった、いや、今もそうかもしれない。 それは、日本人…

遊びは「否定」の学習

在るものを、無いものとするには、否定することができなければならない。 自分の周りがすべて在るものばかりだったら、「否定」は、どこからやってくるというのだろうか。 勿論、脳からだ。 言葉を持たない動物も幼児も、ある行為を拒否する行為はできても、…

自分で「イヤイヤ期」と言う

ゆっちゅの新たなマイブームは、ジャンプだ。 コンクリートでできている、高さ30センチ巾10センチほどの田んぼの畦から飛び降りるのにハマっている。 まだ、ジィの手を離そうとはしないが、時々はひとりで飛ぼうという意欲は見せる。 ママの話では、その成果…

集団行動

ゆっちゅの近頃のお気に入りの遊びは、みんなを引き連れて、二階の和室と隣の洋間を「院長回診」よろしく、儀式的に巡回して回ることだ。 全員を、一階の部屋から一人ひとり手を取って誘い出し、最後に必ず自分で一階の扉を閉める。 階段を登るときは、まず…

鉄橋愛

愛は、主体と客体との癒合的関係であるはずが、なにごとも対象化し実験にかけ原理をつかみ、機械論的世界観で搦め捕ろうとする主体の異常な情熱は、他者に対する愛情を変質させる。 他方、主体と客体を峻別するがゆえに自然から疎外されてしまい、孤立した主…

高みをめざす自我

心身のバランスが取れた人間像は、現代社会においては、一つの理想像であろう。 しかしながら、身体が自然の一部、いや自然そのものであることに気づいている人は意外と少ないように思う。 普通、意識している身体は、心の領域に属しており、身体全体から見…