「パブロフ的」コンテクスト〜光と音

風によって機能を、石によって実質を、橋によって構造を学んだゆっちゅだが、それよりも前に、ゆっちゅは、木の間を飛び歩く鳥のさえずりに耳をすませたり、木洩れ陽と新緑のダンスに目を輝かせたり、遠くの鉄橋を渡る電車の音に耳をそばだてたり、せせらぐ川面に踊る光のワルツに喜びの声をあげたりしていた。

初夏の暖かく自分を包む陽気と、穏やかな音と光の情景は、ゆっちゅに悦びに満ちた情感を覚えさせ、そしてゆっちゅは、その状況全体を感情で把握していたに相違ない。

それは、ゆっちゅがひとりで立つことも歩くこともできず、抱かれるがままに人の腕の中で感受したものだ。

 

日々繰り返される感覚受容と、それに応じて感情的反応をするという受け身中心の生活の中で、視覚と聴覚に繰り返し送信されてくる、像と音声で織り成されたパターンが感受されるようになる。

そして、ある種の気分をともなって条件反射的な行為も起こり、ミラーニューロンも大いに活性化しはじめるのであろう。

ある特定の感覚が、ある特定の状況のもとで繰り返し訪れることによって、パターンが感知されるようになり、そのパターンは、やがて意識されるようになって、意味というものの種子になって行くと考えていい。