鉄道マニア

今日のさんぽは、ジィの家からスタートして、久しぶりに川での石投げをした。

結構な大きさの石でも躊躇することなく投げ入れる。

近くの鉄橋を電車が渡るときだけは、手を止めて「電車!」と叫んで、手を振るが、電車が行ってしまうと、再び石を投げる。

しばらくして石投げに満足すると、ごろごろと転がる浮き石に足を取られながら、夏草が背丈ほどに生い茂る中を、臆することなく突き進んでひとりで歩いてゆく。

河原から1mほどの高さになっているコンクリートを打った堤に上がるのも、階段を使わず、ジィの手につかまりながらコンクリートの斜面を楽しそうに上った。

ゆっちゅは、いったいに土手の斜面の上り下りが好きだ。

石段もそうだが、土の斜面は歩き出した頃から好んでいた。

コンクリートもいけると感じている風だった。

堤の上の道もひとりで歩いて、鉄橋の下まで来ると下から鉄橋を興味深げに見上げ、ゆび指して何やら語っているので、「線路が走っているんだよ。鉄道」と一応説明した。

上空が透けて見えるのが橋と異なることに気がついたのだろうか。

頭上を、轟音を立てて行き交う電車にも恐れる様子もなく、好奇心一杯で見つめていた。

鉄橋をくぐって、少し先まで行って、向こう岸まで続く鉄橋の橋桁の数を数え、近頃覚えた「いっぱい」という言葉を連発した。

 

道沿いに立ち並ぶ電柱を、「イチニサンシゴ」と一応ゆびを指して数えることは、以前からしていたので、同じものが等間隔で並んでいる、ある種の連続性は感受することができるようにはなっているように思われる。

最近行くサイクリングで、駅の近くにある駐輪場の横を通る。

自転車に乗るようになって、ゆっちゅは自転車を「ジージ」と呼んで認識している。

道に沿って自転車が整然と止められ、規則正しく電柱が立ち並んだ直線道路にさしかかると、運転するジィの手を取り、指を立てて勘定するように促してくる。

電柱は数えようとし、自転車は数え切れないほどいっぱいあると理解しているように思える。

ゆっちゅを見ていると、数の概念と連続性との間には関連があるように思える。

 

朝ご飯の空腹感と、照りつける太陽に感じる渇きに抵抗して、鉄橋の下を何度も行ったり来たりしていたゆっちゅだが、後ろ髪を引かれるようにして、この場を後にした。

いっぱしの鉄道マニアみたいだった。