遊びが天職
遊びをせんとや生まれけむ
戯(たわぶ)れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
これは、平安時代末期、後白河法皇が編集した『梁塵秘抄』にある当時の歌謡のひとつです。
遊ぶことは、子どもの仕事。本気で遊ぶから心から笑い、全身で喜びをあらわす。生きるための学習それが遊びです。
確かにゆっちゅは無心に遊んでいる。
「遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそ動がるれ」
ゆっちゅの笑い声に、ジィは「童心」が呼び覚まされる。
年老いたら子供に戻るというが、それは子供の遊びの真の意味を知り、一緒に遊ぶことができるということだろう。
それができるのは、幸せな老後だと、ジィは思う。
子どもの遊びの相手をするのは、年寄りの任務と心得える。
母ひとりの子育てはおおごとだ。
子守娘や乳母が必要とされるのも納得できる。
三世代家族なら爺さん、婆さん、兄や姉が子どもの世話をすることもできる。
昨今では、亭主だけでは足りず、母も働かないと家は建たず、家が建ってもローンは残り、子どもを預けて共働き。
預かってもらえるなら有難や。
しかし、ただではありません。
母親活躍社会は、今に始まったわけではありません。
子どもは健気なもの、一生懸命ですから遊びたがります。
せめて遊び相手ぐらい無料で、誰か。