「お仕事 くるよー」

これもユーチューブで学んだようだが、ダンプカーや救急車などの「働らくクルマ」を説明する映像からゆっちゅなりに理解して、「お仕事」という言葉を使うようになった。

それぞれのクルマが担っている役割を果たすことを映像では「お仕事」と言っているのだろうとジィは想像しているが、定かではない。

「消防車さん お仕事 くるよー」

「ごみ収集車さん お仕事 くるよー」

と言いながらゆっちゅは、一台ずつクルマの向きを全て前方にむけて横列にそろえてゆくという遊びをする。

ゆっちゅのミニカーは今や50台近くに及ぶ。

 

「お仕事」という言葉を、ゆっちゅはかなり早くから使っていた。

パパが不在の時に「パパは?」と聞くと「パパ お仕事」と言っていた。

ママが仕事に行く際にも「ママはお仕事だよ」と言うと、泣いて後追いすることもなくガラス越しにバイバイしながら見送っていた。

「お仕事」という言葉はゆっちゅを聞き分けのいい子にしていた。

その言葉を今、ゆっちゅはクルマ遊びの中で使っている。

また「くるよー」という言葉は、ゆっちゅと道を歩いていてクルマが近づいて来たとき「クルマが来るから端っこに行こう」と言うと、「端っこ 端っこ」と言いながらゆっちゅは道の端に移動するから、自分のところにやって来てその姿を見せるというような意味では理解していると思われる。

「お仕事 くるよー」いう文は、仕事がないところに仕事の依頼がくるというのが常識的な受け取りかただが、ゆっちゅにとって仕事という言葉が身近にいるべき人が不在であることを意味しているとすると、ゆっちゅが待ち望むものが現れるという意味合いも出てくる。

果たしてゆっちゅはどんな意味で言っているのか、謎!

 

くるま音頭 だよ〜♪

ママは眠りから目覚めると、ゆっちゅがママのまわりにミニカーをたくさん並べて遊んでいたことを示す痕跡をよく目にするようになったと言う。

寝たふりをして薄眼を開けて見ていると、ゆっちゅは歌を歌いながらひとりで遊んでいることもあると言う。

ゆっちゅがいちばん好きなのが「くるま音頭」だ。

「くるま くる くる カー  カー  カーアァー🎶くるま おんど だよ〜♪」

因みにこれは乗りものを特集したDVDの中にある挿入歌で、ゆっちゅが習得した言葉でも比較的初期に覚えた言葉のひとつである、自動車を見て「カー」と言うきっかけとなった歌である。

また、近ごろはユーチューブでミニカーの遊び方を盛んに研究していることもあって、ゆっちゅは物語のなかで遊ぶようになってきたようだ。

「くるま くる くる カー  カー  カーアァー🎶くるま おんど だよ〜♪」とゆっちゅはひとりで鼻歌を歌い、お話をしながらミニカーを並べて遊ぶまでになったのである。

 

 

シャウト

ゆっちゅが大声を出すようになった。

しかもそれが遠慮がちにしているところが可愛い。

「おふろあがるよー」

「おふろ」「あがる」「よー」と尻上がりに語気を強めてゆくのだ。

そして「もう一回」と言いながら、もう一回叫んだ方がいいかなと問いかけるような視線をジィに送ってよこすので、ジィは要望に応えて「もっと大きな声で叫んでみな」と言うと、ゆっちゅは更にボルテージをあげて「おふろあがるよー」と叫ぶ。

ゆっちゅは自分が大きな声を出せることに満足すると同時に、自分が大声を出していることに驚いているようすだ。

そして、ちょっと自分に自信を持っている様子が微笑ましい。

ゆっちゅはシャウトしながら、なにか自己を意識して確認しているみたいだ。

 

外遊初日

ゆっちゅがアパートの敷地の外に自分から足を踏み出したのは、内発的な衝動に駆り立てられたからであろうか。

いっしょに歩いていて、ゆっちゅが何かを探し求めている様子が感じられた。

最初に向かったのは田んぼであった。

入りたいというので、土留めされた石垣の上に

抱きあげてやって立たせてやった。

土を起こして間もない柔らかくでこぼこした田んぼのなかに降り、ゆっちゅはお砂遊びセットの入ったネットの袋を引きづりながらその上を歩いた。

少し行ってジィが付いてこないのに気づいて、振り返ってジィに声をかけてきたが「ジィは行かない」と応えたら、引き返してきた。

自分が行きたいところがあるときはジィに付いて来いといって強情を張るのだが、こだわる気持ちがなかったのだろう、田んぼから降りるといって石垣の上に立って手を差し出してきた。

道に降りてからも、回り込んで田んぼに上がろうと石垣沿いに歩いて田んぼにこだわりを見せていたが、ふとゆっちゅは歩みを止めた。

そして、ゆっちゅは踵を返して来た道を戻り、道を挟んで以前よく遊びに行っていたこじんまりとした児童遊園地の横にある階段に出る細い路地の入り口に立って行こうという、しかも抱っこして行くという。

そのときすでにジィには聞こえなかったが、ゆっちゅの耳には子どもたちの声が届いていたようだ。

ゆっちゅを抱っこして緩やかに坂を下って行って、竹を斜めに切った切り口のような上部から底にある児童遊園地を見下ろすと、小学3〜4年生の男児を筆頭にして四、五人の子らが大声を出して遊んでいた。

この声にゆっちゅは引き寄せられたようだ。

その子らのうち四人は隣接する家の兄妹らしく自分の家の庭のようにして走り回っていた。

彼らの姿が見えるや否やゆっちゅは抱っこから降りて、階段をひとりで降りて児童遊園地の中に入っていった。

はじめは、彼らの遊ぶ様子を真剣な目で追っていたゆっちゅは、時折仲間に入れて欲しそうなそぶりを見せながらも誘ってもらえないとわかると、鬼ごっこで子どもたちが追いかけ合っているすべり台にひとりで階段を上り、すべり下りて、下りた台を逆に登り上がろうとしたりして、皆がやっていることと同じようにしようとしていたが、仲間に入ることはできなかった。

しかし、彼らから何かを学ぼうとして真剣に観察するだけで満足している様子だった。

ユズとハルの場合と同様で、遊びのレベルが自分とはかけ離れているとわかると、ゆっちゅはわがままを言わずにじっと観察する。

小学校低学年の遊びかたは、取り分け強くゆっちゅの心を惹きつけるようだ。

 

 

再び外遊へ

ゆっちゅが再び外遊に出だした。

「お砂」遊び道具一式をもってアパートのアーチをくぐって、以前の散歩コースの道に足を踏み出した。

「お砂」遊びとは、ゆっちゅの住むアパートの部屋が一階の東側の端にあり、その外壁に沿って二坪ほどの三角形をした砂利を敷きつめた敷地があり、そこで遊ぶのを指して言う。

遊び道具は、バケツやシャベル、熊手、ザル、三角コーンなどのお馴染みのお砂場セットと、20cm大のプラスチック製のダンプカーとコンクリートミキサー車とショベルカーである。

家にこもりがちだったゆっちゅの遊び方を外に向かうように仕向けてくれたのが、あのユズとハルの出現だったのだが、その出会いの場所がお砂遊びの三角の砂利の敷地だ。

日本の近代化が西欧世界に触発されて他律的に始まっていったように、ゆっちゅはその三角地でユズとハルの襲来によって遊びの先端技術を目の当たりにした。

それ以来ゆっちゅはふたりを待ちわび、新たな刺激を待ち望むようになった。

ところが、このところそのふたりが一向にその姿を見せない。

ゆっちゅのお砂遊びもしだいに精彩を欠くようになり、ユズとハルのアクロバティックな遊びを真似るかのようにアパートの庭の植え込みの土を止めるための幅10cmほどの曲がりくねったコンクリートブロックの上をジィにつかまりながらも走ろうとしたりもするのだが、ゆっちゅの心を長く引きつけることはできない。

しかし、ふたりが与えた衝撃によってゆっちゅの気持ちを外に向いたことは間違い。

それ以降ゆっちゅに「お砂に行こう」と誘うと、躊躇なく外に繰り出すようになった。

それなのに待て暮らせど現れないユズとハルにとうとうしびれを切らしたのか、道具一式をもってゆっちゅは遠征を企だてたのであった。

 

 

子どもの世界

ユズとハルがゆっちゅの家を訪ねて遊びにくるようになった。

ユズは「おもちくん」と呼んでモチモチしたゆっちゅのほっぺがお気に入りらしい。

その日ジィが家に戻った後で、2回目の訪問があったと言う。

小3の姉のユズちゃんが「お餅君の家に遊びに行く」と言うので、お母さんも気になって三人でやって来た。

ゆっちゅは初めて会うユズとハルのお母さんにもすぐに打ち解けて、みんなで玄関前の通路でサッカーをして楽しんだという。

ハルもキャッチできないボールを蹴るゆっちゅのセンスに、皆が将来のJリーガーだと太鼓判を押してくれたそうだ。

 

二歳半のゆっちゅが七歳から五歳の年齢の幅があるユズとハルのやることをじっと見ていて自分でも同じことをしようと意欲していることには、改めて感心させられた。

散歩に行くのが楽しみだった頃のジィを迎える目の輝きとはまた違う意思のこもった力強いまなざしでゆっちゅはふたりの来訪を迎える。

そんな目の輝きをゆっちゅが見せるようになったのは、ユズとハルのお陰だ。

しかも姉のユズがリーダーシップをとっていてゆっちゅに好意を持っているので、激しい身体活動をするなかにもソフトな空気が漂っているのは幸いだ。

ガキ大将を中心にした子どもたちだけの遊びの世界で、幼い子が憧れの気持ちを抱いて、年上の一挙手一投足に熱い視線を送っていたころのジィの子どもの頃を思い出す。

それは、経験の差がつくり出す子供同士の世界のなかでは学ぶことがたくさんあって、遊びに夢中になって時が経つのも忘れて、仲間と別れてから急に空腹感が襲ってきた頃の子どもたちが持っていた目の輝きだ。

 

「じぶんでやる」

近頃ゆっちゅは寝言を言うようだ。

「もう一回」と。

よほど再現可能性に執心しているようだ。

しかし、それが決して悪いというわけではない。

何しろ再現可能性は科学的な知見の土台をなすものだから、そしてその次にやって来るのは「なぜ?」という因果関係を問う質問の嵐であろう。

その一方で、ゆっちゅは友だちと呼ぶには当たらないが、自分以外の人と協働して遊ぶことの楽しさを感じはじめている。

ジィをはじめ、周囲の大人たちを巻きこんで一緒に遊ぼうとするようになった。

年長の活発な遊び方や女の子とのママゴト遊びなど、ゆっちゅのそれまでの遊びを変えるような遊びを体験しつつある。

 

その日は、小学校の終業日で久しぶりに再会を果たして、下校後に遊ぶ約束をしたのであろう、アパートの周辺からいつになくにぎやかな子どもたちの声が聞こえていた。

その声に誘われて、ゆっちゅも心が浮き立ったのか外に行くといいだした。

そこに再び現れたユズとハル、今度はそれぞれの同級生を交えて四人で、所狭しと「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」で走りまわり、アパートの敷地だけでは物足らず、フェンスを乗り越えて隣家にも及んでいた。

ユズとハルは、自分たちの遊びの合間にときどき、顔見知りになったゆっちゅの遊び相手をしてくれた。

ゆっちゅはとても嬉しそうだ。

ハルが友だちのテルと、芝生の坂で前転二回連続で転がり落ちるのを、ゆっちゅはじっと見つめていた。

そして、ゆっちゅは迷わず現時点での自らの最高のパフォーマンスであるジャンプして空中で半回転する大技で坂に飛び出していって転がり落ちていった。

しかし、しばらくするとユズとハルは風のように高いフェンスを越え、駐輪場の屋根に飛び移り去っていってしまう。

遠くの方からの声を耳にすると「あれなんだろう」とジィに尋ね二人が戻ってくるのを待ち望んでいる。

ゆっちゅにとってユズとハルは遊びの師でありお手本なのだ。

 

二人がどこかへいってしまうと、ゆっちゅは自分の遊びに戻っていった。

しかし、同じ敷地の別な場所で、やはり小学3年くらいの女の子が三、四人で遊んでいるのを知っていたゆっちゅは、気になっていたらしくタンクローリーやブルドーザーを走らせながら徐々に近づいて行く。

彼女たちは水を含ませると膨らんで透明でカラフルなビニール玉のようになるもので遊んでいた。

ゆっちゅは水で濡れたレンガを敷き詰めた道を歩きながら「水」と言ったり、投げ捨てられた寒天のように弾力のあるその球体の破片が散らばっているのを拾っては「きれい」などと言って、誘ってくれるのを期待しながら行ったり来たりしているのだが、彼女たちは相手にしてくれない。

相手が年が離れているということもあってか、ゆっちゅもズカズカと近づいて行って自分の欲しいものを手に取ろうとするわけでもない。

声がかかるのを期待しながら、ゆっちゅは適度な距離を置いて行ったり来たりしているばかりで、ジィに頼って仲間に入ろうというそぶりも見せなかった。

 

その後、ジィの家に向かってママと三人で河川敷を歩いていると、小学校の低学年くらいの男の子が二人で遊んでいるところに通りかかった。

ふたりは、石段が20段ほどの高さから土手の草の上を転げ落ちて遊んでいた。

ゆっちゅのアパートの芝生の坂とは比べ物にならない高さだ。

それを見ていたゆっちゅは自分もやるといって石段を上までひとりで上がり、得意のジャンプして半回転して飛び降りて着地するとそのまま尻で滑り、途中からは身体が横転してぐるぐる回って下まで行って止まった。

立ち上がったゆっちゅは泣きもせず、むしろ満足したような笑みを浮かべていた。

 

今のゆっちゅは小学校低学年の先輩のやることを熱いまなざしで見つめ、それを自分も同じようにやろうと真剣である。

これまでのゆっちゅの散歩は目新しいものをもとめ、行動範囲の広さが特徴的だった。

その頃は、ジィはゆっちゅとっては同体のようなものであり、ゆっちゅの意識には自分とジィは未分化な状態にあったのであろう。

ところが、ゆっちゅが次第に自らの個体性に気づきはじめるようになると、家のなかでの活動が主流になってママに甘えるような傾向を見せはじめた。

それがユズとハルの出現で再び外での遊びに関心を持ちはじめるようになった。

しかもひとりでやろうとする傾向が顕著になってきている。

「じぶんでやる」 という言葉をよく口にするようになった。