「じぶんでやる」

近頃ゆっちゅは寝言を言うようだ。

「もう一回」と。

よほど再現可能性に執心しているようだ。

しかし、それが決して悪いというわけではない。

何しろ再現可能性は科学的な知見の土台をなすものだから、そしてその次にやって来るのは「なぜ?」という因果関係を問う質問の嵐であろう。

その一方で、ゆっちゅは友だちと呼ぶには当たらないが、自分以外の人と協働して遊ぶことの楽しさを感じはじめている。

ジィをはじめ、周囲の大人たちを巻きこんで一緒に遊ぼうとするようになった。

年長の活発な遊び方や女の子とのママゴト遊びなど、ゆっちゅのそれまでの遊びを変えるような遊びを体験しつつある。

 

その日は、小学校の終業日で久しぶりに再会を果たして、下校後に遊ぶ約束をしたのであろう、アパートの周辺からいつになくにぎやかな子どもたちの声が聞こえていた。

その声に誘われて、ゆっちゅも心が浮き立ったのか外に行くといいだした。

そこに再び現れたユズとハル、今度はそれぞれの同級生を交えて四人で、所狭しと「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」で走りまわり、アパートの敷地だけでは物足らず、フェンスを乗り越えて隣家にも及んでいた。

ユズとハルは、自分たちの遊びの合間にときどき、顔見知りになったゆっちゅの遊び相手をしてくれた。

ゆっちゅはとても嬉しそうだ。

ハルが友だちのテルと、芝生の坂で前転二回連続で転がり落ちるのを、ゆっちゅはじっと見つめていた。

そして、ゆっちゅは迷わず現時点での自らの最高のパフォーマンスであるジャンプして空中で半回転する大技で坂に飛び出していって転がり落ちていった。

しかし、しばらくするとユズとハルは風のように高いフェンスを越え、駐輪場の屋根に飛び移り去っていってしまう。

遠くの方からの声を耳にすると「あれなんだろう」とジィに尋ね二人が戻ってくるのを待ち望んでいる。

ゆっちゅにとってユズとハルは遊びの師でありお手本なのだ。

 

二人がどこかへいってしまうと、ゆっちゅは自分の遊びに戻っていった。

しかし、同じ敷地の別な場所で、やはり小学3年くらいの女の子が三、四人で遊んでいるのを知っていたゆっちゅは、気になっていたらしくタンクローリーやブルドーザーを走らせながら徐々に近づいて行く。

彼女たちは水を含ませると膨らんで透明でカラフルなビニール玉のようになるもので遊んでいた。

ゆっちゅは水で濡れたレンガを敷き詰めた道を歩きながら「水」と言ったり、投げ捨てられた寒天のように弾力のあるその球体の破片が散らばっているのを拾っては「きれい」などと言って、誘ってくれるのを期待しながら行ったり来たりしているのだが、彼女たちは相手にしてくれない。

相手が年が離れているということもあってか、ゆっちゅもズカズカと近づいて行って自分の欲しいものを手に取ろうとするわけでもない。

声がかかるのを期待しながら、ゆっちゅは適度な距離を置いて行ったり来たりしているばかりで、ジィに頼って仲間に入ろうというそぶりも見せなかった。

 

その後、ジィの家に向かってママと三人で河川敷を歩いていると、小学校の低学年くらいの男の子が二人で遊んでいるところに通りかかった。

ふたりは、石段が20段ほどの高さから土手の草の上を転げ落ちて遊んでいた。

ゆっちゅのアパートの芝生の坂とは比べ物にならない高さだ。

それを見ていたゆっちゅは自分もやるといって石段を上までひとりで上がり、得意のジャンプして半回転して飛び降りて着地するとそのまま尻で滑り、途中からは身体が横転してぐるぐる回って下まで行って止まった。

立ち上がったゆっちゅは泣きもせず、むしろ満足したような笑みを浮かべていた。

 

今のゆっちゅは小学校低学年の先輩のやることを熱いまなざしで見つめ、それを自分も同じようにやろうと真剣である。

これまでのゆっちゅの散歩は目新しいものをもとめ、行動範囲の広さが特徴的だった。

その頃は、ジィはゆっちゅとっては同体のようなものであり、ゆっちゅの意識には自分とジィは未分化な状態にあったのであろう。

ところが、ゆっちゅが次第に自らの個体性に気づきはじめるようになると、家のなかでの活動が主流になってママに甘えるような傾向を見せはじめた。

それがユズとハルの出現で再び外での遊びに関心を持ちはじめるようになった。

しかもひとりでやろうとする傾向が顕著になってきている。

「じぶんでやる」 という言葉をよく口にするようになった。