大っきな声だすよ
その日は、雨が降って来そうでなかなか降り出さない寒い日だった。
河川敷グラウンドで、サッカーボールを蹴るのは、ゆっちゅの他には6〜7人の小学生の男女の集団だけだった。
その集団をゆっちゅが意識し始めたのはどの時点であったろうか。
最初はかなり離れたところで露を含んだ短く刈りそろえられた草の上でボールを転がしていた。
関心が他に向かったのか、立ち止まってボールに片足を乗せたままで、そのことを忘れていたようだ。
動こうとしてボールに乗せた足に重心をかけた瞬間、足を取られて地べたに腰から落ち尻もちをついてしまった。
予期せぬ事態に驚いたゆっちゅは激しく泣いて、しばらく泣き止まなかった。
足でも捻ったかとジィは不安にかられた。
抱っこして泣き止むのを待った。
しばらくして落ち着きを見せたゆっちゅだが、ボールを蹴る気はなさそうだったので、そのままジィの家に向かって歩き出した。
しだいにサッカーをする少年少女の一団に近づいていった。
気を取り直したゆっちゅは、抱っこからおりてボールを蹴りはじめた。
どうやら足は何でもなさそうで安心した。
ゆっちゅは、その一団を遠巻きに眺めながら何とはなしにボールをもてあそび行ったり来たりした。
そのうちに突然、ゆっちゅは体内から魂を搾り出すようにして「おおきな声」をあげた。
そして叫び終わってから「大っきな声だすよ」と緊張した声で言った、正しくは「おっきな声だしたよ」と言うべきところだが。
ゆっちゅは、怒って睨みつけるような必死な形相をしていた。
サッカーをしていた子供たちの何人かが、気がついてこっちを振り返った。
そして、ゆっちゅはまたボールを蹴り出した。
ところがまた立ち止まると、大声を張り上げてから再び「大っきな声だすよ」と怒ったような顔をして言った。
その真剣な眼差しはジィを射抜くように鋭かった。
ゆっちゅは自分で意図的に大きな声を出しその声を聴いて驚愕しているふうだった。
その後も同様にして二度「雄叫び」をあげ、自分の意志を確認しているふうだった。
大きな声で
ゆっちゅは、人を遠ざけるとき「ジィジ あっち行くよぉ〜」「ばあば あっち行くよぉ〜」と言う。
関心があるものに集中したいときに、邪魔をされると「○○あっち行くよぉ〜」と言うようになった。
これは、ゆっちゅに自己中心的な意識が生まれてきた証しのように思われる。
また、散歩をしていて雨上がりにできた水たまりを見つけると、ゆっちゅは近づいて行って入ろうとする。
それが分かるので、先手を打って「入っちゃダメだよ」と何度も注意をする。
初めは、入っちゃいけないと思っているのか、水たまりの手前まで行って踏みとどまったり、迂回したりするのだが、すぐに誘惑に抗し切れなくなって「まゝよ」とばかりに声をあげ、笑いながら突進して行く。
バシャバシャと足を踏みならして水しぶきを立てて大騒ぎする。
その日は、そのあと河川敷グラウンドへ行った。
そこには水飲み場がある。
垂直方向に吹き出す蛇口があり、ゆっちゅがどうしても水を出してほしいと意地を張って「お願いします」が出たので、少し出してやった。
それを上から押さえつけて水しぶきを上げる。
水が服にかかるのを注意されると、面白がって一層大はしゃぎをしてやる。
「もうお仕舞い」と言って止める。
止めると、「もう一回」と言ってわがままを言う。
それでも水を出さないでいると「お願いします」が出る。
そんなふうに水を止めたり、出したりを繰り返す。
「服が濡れちゃったからもう終わりだよ」と言って、蛇口を閉めたら、ゆっちゅが大きな声を張り上げた。
自分の思い通りにして欲しいと言葉にしたのだろう、出すとか何とか言ったのだろうが聞き取れなかった。
そして叫んだあとで「大きな声で」と言った。
自分は大きな声を出したよ、と言ったつもりなのだろう。
ゆっちゅは大きな声を出す自分を感じていたようだった。
この言葉は初め、フロから上がるときに、ジィが使ったものだった。
ゆっちゅに、フロから上がるとき「あがるよ」と言ってママを呼ぶことを教えようとした。
初めは声が弱々しくママまで声が届かなかった。
そのたびに、「もっと大きな声で言ってごらん」とアドバイスしていた。
たまに大きな声が出せたときは、自分自身で感動して目を輝かして、「おっきな声」と言うようになっていた。
「おっきな声」は、ゆっちゅにとって自分はこうしたいという意志の発露とつながっているのかもしれない。
五月のバラ
ゆっちゅの下半身に安定感が見られるようになり、巧みな足技を身につけ始めた。
ひとりで両足ジャンプをしたり、両手を吊り上げてもらってジャンプしたり、両手をつかんでもらった状態で後ろにそっくり返ってジィの股の間から後方を逆さに見るなど、自分の身体をどのくらい自由に動かすことができるのかを確かめながら身体の可動領域を広めようとしている感じだ。
サッカーボールでは、小刻みにボールを蹴りドリブルらしいことをするようになった。
そして、ときどきボールを蹴るときにボールを見ずにわざと横や後方に顔を向けて蹴る。
どこにボールがあるのか自分にはわかっているんだというようなポーズを見せる。
近ごろ香川真司のビデオを好んで見ているという話を聞いてからは、ゆっちゅのボールを扱う仕草がなんとなく香川選手に似ているようにも思う。
ゆっちゅのコピー能力は大したものだと感心する。
ゆっちゅの走り方を見ていると、膝の位置が上がってきて本格的なものに近づいてきた。
下り坂では両足が宙に浮いている状態、すなわち走っている状態を取ることができるようになった。
また、上り坂では、後ろ向きで歩いて上がりながら、それができることが誇らしいのか得意げに笑いかけてくる。
ゆっちゅの身体操作の自在性が増すに応じてゆっちゅは言語活動も活発になり、そして顔にはゆっちゅ固有の感受性豊かな表情が現れてきた。
五月のバラの蕾がほころぶように、ゆっちゅの個性がその姿を見せはじめた。
お願いします
ゆっちゅの最後の切り札が、「おねがいします」というセリフである。
ばあばとふたりでゆっちゅを散歩の誘いに行く。
チャイムを鳴らすと、待ちかねたようにゆっちゅが迎えに出る。
しかし、「ジィジ あがる」とゆっちゅは家に招き入れようとする。
ばあばがすかさず「お散歩に行かないなら、帰るよ」というと、「ばあば あがるよ」と、ばあばも家にあがるようにゆっちゅは要望する。
それでも「散歩に行かないなら、じいじとばあばは帰ちゃうよ」と強情を張ってみせると、伝家の宝刀が出る。
「ジィジ おねがいします」
「バアバ おねがいします」
「おねがいします」と言うと、自分の思うように人が動いてくれることに味をしめたゆっちゅは、何かというと伝家の宝刀を抜く。
散歩とサイクリングが再開したことにより、ゆっちゅの外遊があらたな段階に入った。
散歩においては、イニシアチブを取るようになった。
ばあばが新たに散歩に同行するようになったことも手伝って、ばあばを案内するような言動も現れた。
ばあばにとっては初めてとなる山沿いのコースを歩いたとき、小高い見晴らしの良い場から見える鉄橋や橋、川、送電線の鉄塔など、ゆっちゅはすでに認めて知っているものを言葉にしてばあばの注意を引いたり、あるいは高速道路を走るトラックやトレーラーなどを指さして「はやいね」とか「すごいね」と言ってはばあばに共感を求めたりしていた。
ばあばが「どうやって帰るの」と心配しているのを知るや、ゆっちゅはパパといっしょに歩いて知っている道を先頭にたって歩いて道案内をした。
自転車に乗っているときも、ゆっちゅは「風が吹いてきたね」とか、鉄橋が見えてくると「電車来るかなあ」とか、踏切では「カーカー止まるかなあ」などと状況に即して、文章を使ったコミュニケーションを試みるようになってきた。
ゆっちゅに話しかけるとそれを復唱するようになったからではあるのだが、自転車を走らせながら目に見えるものや耳に聞こえてくるものや肌に感じるものを言葉にしてやると、即座にジィの言葉をまねるところは、ゆっちゅの学習意欲の高さの表れであろう。
やめろと言われても
ダメと言われるとやらずにいられないのか、ゆっちゅはジィを困らせて喜んでいる。
ゆっちゅとアパートの前にある駐車場でサッカーをしていたとき、ゆっちゅの蹴ったボールが道路の方に転がって行くのをジィが慌てて走って取りに行ったことが面白かったようだ。
それから度々、ゆっちゅはボールを抱えて道路に向かって走り出し、前方に放り出したボールを道路に駆り出そうとキックするようになった。
その都度、ジィは走り出し阻止する。
そしてその都度その都度、危ないからやってはならないと説教するのだが、ゆっちゅに聞く耳はない。
ヘラヘラ笑ってますます図に乗って仕掛けてくる。
何度もやっているうちに、キックではジィに止められてしまうと分かると、次にゆっちゅはまるでラグビーでもするようにボールを両手で抱えて、道路の前で両手を広げて立ちふさがるジィのサイドを突破しようと右に左に進路を変えながら突進してくるようになった。
再び外遊へ
ゆっちゅの気持ちは、再び外遊へと向かい出した。
トンネルを通って山のふところに入った。
ゆっちゅの心を突き動かすものが強かったのだろう、自分から歩いてトンネルに入っていった。
山の上り下りの坂道もしばらくぶりのことで刺激的だったのだろう、足取りも力強く駆け上がり駆け下りた。
そして、目に見えるもの耳に聞こえるものを即言葉にして行く。
ゆっちゅは一年の間に経験して知っている全てのものを一つも残さず言葉にしようとしていた。
久しぶりに訪れた山は五月の新緑につつまれていた、そして、ゆっちゅの周囲は湧き出す言葉であふれていた。
ゆっちゅに家に引きこもる傾向があらわれたころ、ミニカーが箱に入っていることに強いこだわりを見せるようになった。
また、大型のごみ収集車のオモチャにいろいろな小物を入れる遊びに夢中になったりもした。
砂や石をタンクローリ車に入れたりブルドーザーですくってダンプカーに載せたり、いずれもユーチューブを見てまねをするようになったようだが、中に何かを入れることができる器状のものに関心を持って、どんなものにどんなものが入るか試そうとするようになった。
あるとき、指が入る程度の穴に関心を示したので「穴っぽ」という言葉を教えたら、指を突っ込んでは「あなっぽ あなっぽ」とうれしそうにわざわざ確認をとるようにジィの顔をのぞきこんだりした。
自分の着ている服にポケットがあることにも関心を持つようになったので「ポケット」と言うんだよと教えると、すぐにマスターしようと「こぺっと こぺっと」とポケットに手をつっこんで喜んで飛び跳ねていたこともあった。
そしてこの頃、ばあばと二人でゆっちゅを散歩に連れ出しに行くのだが、ばあばが一緒だとゆっちゅは積極的に誘いに応じ元気に外へ飛び出してくる。
三人で歩いていると、ゆっちゅは同じ話題を取り上げて会話しようとしているような言葉遣いをする。
散歩の終わりには、以前よくしたようにジィの漕ぐ自転車に乗っかってのサイクリングの誘いにも応じるようになった。
ゆっちゅが引きこもりの傾向を見せる前によく走ったコースを行く。
その頃の記憶も戻ってくるのだろうか、五月の風を顔に受けながらゆっちゅのおしゃべりの速度も上がってきて、口からは多彩な言葉が後をついて出てくる。
ペダルを漕ぎながらそれを聞いていると、わずかな間に実に豊かな経験をし着実に学習をしていることが伝わってきて感動を覚える。
寝技の研究
柔道の技には大きく立ち技と寝技という区別がある。
ゆっちゅにとって立ち技の習得の第一歩は、歩行であった。
歩けるようになると、河川敷グランドを走り回わり、階段の上り下り、坂道の駆け足、さらにそれにも飽き足らず、道無き道を求めて藪の中や石だらけの河原に足を踏み入れたがるようになっていった。
転んでも泣きもせず、転ぶのを恐れるそぶりも見せず、並走するジィの方に顔を向けたまま駆けまわるゆっちゅにハラハラしながら、よく転ばないものだと感心させられた。
外へ外へと意識が拡張して行くゆっちゅにとって、散歩はいわば外遊と言ってよく、柔らかく鋭敏な感覚に訴えてくる多種多様な刺激を通して立ち現れてくる外界とみずからとの関係をどのように構築してゆくのが良いのかを探究する学習の場であったと言えよう。
それが一転、ゆっちゅの遊びの傾向が室内のものに移行するようになると、ぬいぐるみにチューしたり抱きしめたり、寝転がってミニカーとお話ししたりして、ゆっちゅが次第に「おたく化」して行った。
そして、ジィに戯れる仕方も寝技の傾向が強まっていった。
それまでのゆっちゅは立った状態から抱きついてきたり、走ってきて反転して自分の身体をジィに預けるかたちで絡んできたのが、身体を横たえた状態で傍らに寝転んでいるジィの身体に絡みついたり、顔を近づけてきて何か思惑を持った目つきでジィの目の奥をのぞき込んだりするようになった。
寝技の傾向が高まると同時に、ゆっちゅの身体の操作性の自由度が一段と上がってきたように感じられた。
そして、ときどき「ハイハイ」をやって見せるようになり、ハイハイしながら以前よりも自由に身体を動かせることを実感して、みずからの成長を照れながら自慢しているようなアイロニカルな笑みを投げかけてくる。