人は変わる
ゆっちゅと二日会っていない。
「君子豹変」
「三日合わざれば瞠目して待つべし」
という言葉がある。二つとも同じようなことを表現している。
人は変わると。
わずか二日たったに過ぎないが、ゆっちゅがどんな変化を見せているか、会うのが楽しみだ。
頭の良い人と話をするのは、気持ちがいい。
相手の人の思考回路や速度に、自分の脳が同調するためだろう。
また、思考が停滞しないためでもあろう。いつも同じことを聞かされると、人はうんざりするものだ。
「君子」は、大人の世界の人の話だ。徳が高く、世事にも長けた人というのは、世に少なからずいるだろうが、「君子」はなおかつ行動的でもある。変化にすばやく対応する人である。人の世の変化を見て取ることができるのも、この世界全体が絶えず変化していることを知っているからだ。
反対に、物事を固定的に捉える人は、その人自身が変化しない。いつも同じことばかり言い、行動パターンも一定している。世界が絶えず変化していることを知らない人だ。「諸行無常」を知らない人、言葉の意味は知っていても、悟っていない人だ。
何も変わらないと思うのは、変わらないと考える意識の中に住んでいるからだ。観念や言葉の中に安住してしまっているからだ。
人は誰もがみな変化し続けている。自分では変わっていないと思っている人も、他人の目から見れば、変化が見て取れる。変化を見る目を持っていればだが。
三日も経てば、人は変わっているものだから、「君子」は覚悟して人に会う。
また、「君子」こそは大いに変貌するから、それこそ目ん玉見開いて「君子」には会わないといけないよ、というわけだ。
今日は、ゆっちゅに「瞠目して」合おう。
ゆっちゅの脳は、言語表現の方はまだしも、感覚運動神経系の細胞は電気信号を高速で飛ばしあって、世界の変化に対応しているに違いないから。
因みに、ホモ・サピエンスが言葉を使い始めるのが、7、8万年前頃らしい。ゆっちゅは今、この段階に差しかかっていると言えよう。
ホモ・サピエンスが出現して20数万年このかた、脳の大きさを始め身体的にはほとんど変わっているないと解剖学は教えている。だが、言葉を手にしてからの人類の「進歩」は目を見張るものがある。
何が変化したと言うのだろう。そして、何が変化しないのか。