我が道をゆく
散歩に行こうよと言うと、「さんぽ行かない」
お家に帰ろうと言うと、「おうちに帰らない」
お風呂に入ろうと言うと、「おふろ入らない」
と何か提案すると必ず拒否する最近のゆっちゅ。
自らの行為を否定的に表現しはじめたことで印象にのこっていることがいくつかある。
じぶんでおもちゃを投げてしまってから、「投げない」と言って泣き出しそうな顔をよくしていたことである。
好きなミニカーを投げてしまったときなどは、「投げない」「かわいそう」と言って泣き出しそうな顔をした。
投げられたものに、ママが痛かったよね、かわいそうだよねとよく言い言いしていたことから学んだようだ。
ゆっちゅはつかまり立ちする前から、川面に石を投げたり室内でボール投げをよくやっていた。
しかし、それらは石やボールを手渡してもらうからできることで、じぶんで歩いて欲しいものを手に取ることができるようになってからも、はじめのうちは教えられたように河原の水ぎわに行かなければ足は投げなかったし、ボール投げも形どおりの遊び方をしていた。
やがて石やボール以外のものも投げ始めるようになる。
とくに友だちとおもちゃの取り合いになって、「だめだよ」たしなめられるようになると、ゆっちゅはおこってじぶんが手にしている物を放り投げるようになった、そして泣いた。
じぶんから移動して物を投げることができるようになると、状況判断をまちがえるとたしなめられるので、石投げのように投げていいものといけないもの、川面に向かってなら投げていいが、ひとにたいしてはいけないことなどを区別する学習しなければならなくなる。
はじめのうちはたしなめられると、おとなしく言うことを聞いていたが、近ごろは大人の顔色をうかがうようになって言っても聞かなくなってきた。
そんなとき、よくゆっちゅは笑い顔をみせる。
それは一種の遊び感覚で反抗的行動をとっているふしがあり、ゆっちゅは注意を受けることを予測してしてじぶんのやっていることを理解しているように感じる。
遊びは学習であることを物語っている。
ところが、なぜ注意を受けるのかが理解できず混乱をきたすとゆっちゅの頭脳はカタストロフィーをおこして大泣きし暴れだす。
ミニカーでひとり遊びをするようになってからはゆっちゅは想像の世界に遊ぶことをおぼえはじめようだ。
しかもその世界は感情によって染めあげられている。
ミニカーは擬人化され人格をもっていてゆっちゅとの間には人間関係が成立している。
「カーズ」というアニメーションはゆっちゅに大きく影響しているようだ。