脳のトリセツ

ゆっちゅに、今ジィがしてやれることは何か、考える。

一つ、個として自立する礎を築いてやること。

二つ、日ごろの衛生環境に気遣ってやること。

三つ、好き嫌いせず何でも食べられるようになるように補助すること。勿論、主務はママである。

など、など。

 

色々なものが食べられることと新鮮な空気が吸えることは、ヒトとしての最低の権利であり、最大の喜びでもある。

自然と共存しながら、必要なものを必要なだけ摂るという食生活は、ヒトの食事と行動のエネルギー需給のバランスを考えるうえでの原点である。

必要なものとは、「食べたい」ものではなく、「食べられる」ものという意味である。

人体おいて一番エネルギーを消費するの、脳である。

重さにして体重の2%ほどの脳が、身体全体で1日に消費するエネルギーの20%を消費するという。酸素の消費量も全体の20%~25%を消費するという。

 

不必要な運動をすれば、その分だけ不必要なエネルギーが必要になる。今ではその分、カネがかかる。

不必要に脳を使えば、その分、不必要な酸素とエネルギーが消費され、なおかつ、眠っている間にも、同等の酸素とエネルギーが、紛糾し混線した脳の回線の修復に費やされる。

解決できなかった問題は、無意識という蔵の中に放置されるか、時には思い起こされて解決されて、大きな発見につながることもある。

しかし、大半の問題は無意識のうちに忘れ去られ、陽の目を見ることはない。

 

どうすれば不必要に脳を使わないで済ますことができるであろうか。

ヒトは、いつから不必要に脳を使い始めたのであろうか。解決困難な課題を抱え込むことになったのか。

誰かが為すべき事を怠り、その責務を糊塗し、その仕事を他の者に肩代わりさせ、その者の脳に、それを「正当」と信じ込ませるような、偽の回線を植え付けたのが難問の始まりであろう。

ヒトが共同体のメンバー全員の顔が識別できなくなる段階に差し掛かったころに、偽装行為が始まったと考えられる。

技術が生まれ、分業が始まり生産性が向上すると、構成員は増加し、分業はますます合理的で複雑なものになり、ヒトの社会は、機能的な組織が増殖して行く。

運命の共同体の内部に、目的を優先する機能体が生まれることで、様々な矛盾が発生し、それを解決するために、脳の合理的な側面である意識や意味が重視される方向に、ヒトの生活は疎外されて行った。

その後、ヒトの世界は脳中心に発展し続けて今日に至っている。

脳の機能を意識化して、脳をモデルに、その最たるものがコンピータだが、様々な機器を作り、便利な生活を享受している。76億人のごく一部の話だが。

便利であるということは、すなわち「ああすれば、こうなる」式に、人やものを動かすことである。

自然の一部も、長い時間をかけてコントロール可能なものにしてきた。

一部のはずが、いつの間にか全部、と勘違いし、世界は取扱説明書通りになると思い違いして気づかない。

脳は往々にして、自らが自然の産物であることを忘れたがる、忘れたふりをする、忘れる。

それはさておき、脳の自己同一性「俺は俺だ」は最強だ、ということである。

全ては俺が中心だ「自己中」とは、脳そのものである。

ヒトの脳は、自分の思う通りに、自分の姿に似せて作り上げてきた都市文明という、自然と拮抗し、場合によってはそれを破壊することができるところまで発展してきた。

 

ここまで考えて、たどり着いた答えは、

「ゆっちゅに、脳の使い方、意識の取り扱い方を間違えないように注意を与えること」これが、ジィの使命であるというものだ。