ルーティン

ゆっちゅは近ごろルーティンにこだわっているようだ。

支援センターに行くと、下足置き場に座って自分の靴を「とって」と言いくつ箱に入れるように指示し、名前が書いてある名札(子供の名前がわかるようにつける決まりになっている)をつけるように自分の胸を指し示し、自分で柵(安全のために施してある)の扉のフック状のカギを開けて中に入るという段取りを主体的に行うそうだ。

ジィの家に来たときも門扉を開け、玄関のチャイムを鳴らし、ジィが出るとジィに靴を履くように指示し家のまわりを先頭に立って歩き、ガスボンベやガス管を確認し、庭の畑の土をシャベルで掘ったり、自電車の車輪と空気入れを調べたりしてから、門扉を自分で開けてさんぽに行こうとアイコンタクトでジィに同意を求めてくる。

近ごろ、以前のようなさんぽをしなくなったことは、このルーティン、すなわち決まりきった手順にしたがって行動するようになったことと関係がありそうだ。

ゆっちゅには自分を意識しながら行動パターンを形成する「統覚の習慣」が始まっているのだ。

ルーティンを乱されると怒り出すところを見ると、統覚は感情的な判断と密接な関係があり、そこにはある種の合理的なアルゴリズム(演算規則)が組み込まれていると考えられる。

本能が組織化されて情感が生まれる過程で、意識はその情感と縒り合わさりながら自らを同一的なものとして意識してゆくのだろう。

感情的判断にもある種の合理性があると言われる所以でもある。

なんといっても感情は無意識や身体的な知、つまり広大な暗黙知と結びついており、それは人間精神のエネルギー源であり、理性的な知の土台でもある。