ものの名をおぼえる
何かといえば、ゆっちゅはゆびをつきだしては「コレ」と言って、物の名前を求めることが、この1日2日で急激に多くなりました。
目に移るものは手当たり次第といった感じです。自分で発音できることばは、以前と変わらず、それほどありません。
なんと言うか、ゆっちゅは、ものには名前があるということに気がついたのか、前に見たものが同じ名前で呼ばれることに気がついたのか、同じ名前で呼ばれるものが、周りから区別されていつも同じに見えるのがおもしろいのか。
うまく説明できないのですが、ジィにはそんな風に思えるのです。
毎日通る道沿いにあるものや、家の中でも大人が使うガスレンジや電子レンジ、蛇口などを、毎日、ゆっちゅによって恒例の儀式のように確認作業がなされます。
そして、今まではゆびを指さなかったものも増えてきました。
あたかも自分の周りにあるものには全て名前があることがわかったら、とつぜん目の前に世界が開けたかのような騒ぎなのです。
単なるジィの思い込みにすぎないかもしれませんが。
一方で、寝起きが悪いときといいときが、はっきり分かれるようになり、いいときは意識状態は大変安定しています。
眠気と闘って、我慢して起きていて意識状態を維持しようとするような傾向も見せます。
また、さんぽ中に自分で歩いていて転んだとき、以前の足元がおぼつかなかった頃は転んでも泣かなかったのに、近ごろは転ぶと一瞬、間を置いてから泣くのです。何やら、転んだことを確認してから泣いているようなんです。
人のまねをするようになってきたことや、物の名前を知りたがるようになったのは、一人で歩けるようになってから目立ってきた傾向です。
ジィは、こんな風に思います。
ゆっちゅの目や耳から脳に刺激が送られ、ゆっちゅは身体を動かす。その結果、ゆっちゅの脳の神経回路に変化が起こる。また次の日、ゆっちゅの五感から刺激が入る、ゆっちゅは身体を動かす、また感覚が変わる。
そうやって、日々刻々とゆっちゅは学習を重ねながら、しだいに我がつよくなってきているのではないかと。
ゆっちゅの脳の神経回路が活発に活動し始めたことで、意識が発生し自我が形成されはじめたのではないかと思われるのです。