ぁらららぁー

「ぁらららぁー」

そんなことしていいのかなあ、それだめじゃないの、というニュアンスで、柔らかな禁止、拒否の意味をこめて、ゆっちゅの行為をたしなめる時に、周囲の大人が使った言葉。 

その「ぁらららぁー」をゆっちゅが使いはじめた。

何かしようとしている時に、その行為を止めることだと、ゆっちゅは理解しているようだ。

こんなことがあって、ジィはそう思ったのだ。

今日、階段登りをしている時に、ジィが手を添えて登らせようとするのを、ゆっちゅはひとつ上がって、次も上るかと思えば1つ後ろ向きに下り、下りのかと思えば上ろうとし、上るのかと思えばその場に座り込む。

おちょくられていたなら、腹も立つが、ゆっちゅは行為の度ごとに「ぁらららぁー」と言っては楽しそうに笑っている。

ジィも唱和すると、足を踏みならしてうれしそうに笑いかけてくる。

ゆっちゅに、意思が生まれてきているのを感じる。

 

意思があるということは、記憶が機能しなくてはならない。

以前したことと同じことをしたい、あるいは、今ままでと違うことを思いついて、それがしたいと思えば、それは意思であろう。

こっちの道を行けば、何がある、そこへ行けば何ができる。

そっちの方へ行けば、そこに何がある、そこでは、今したいと思うことができない。

だから、今はこっちへ行く。

毎日ほぼ同じルートで、それぞれの場所でほとんど同じことをしているさんぽだから、ゆっちゅだっていい加減そのくらいの知恵がついても不思議はあるまい。

 

感覚し、考え、行動し、そして経験したことを記憶し知識となる。その知識は、次の行動の際には、フィードバックされ活用される。まさに生きた知識である。