「パブロフ的」コンテクスト〜風

10ヶ月の月齢を迎える頃、ゆっちゅは初めての夏を経験した。 暑さをしのぐために、風がよく通り抜ける橋の下に、抱っこして腰掛けるにちょうど良い大きな石があり、涼を求めて、そこへよく連れて行っていた。 まだ、歩けなかったゆっちゅにとっては、受動的…

性格

自我とは、他者の立場からは、個性とかキャラクターとして捉えられる、その人固有の性格のことである。 真面目でおとなしく責任感が強い人こそが、企業が求め、公務員としてもふさわしい人物像の典型であった、いや、今もそうかもしれない。 それは、日本人…

遊びは「否定」の学習

在るものを、無いものとするには、否定することができなければならない。 自分の周りがすべて在るものばかりだったら、「否定」は、どこからやってくるというのだろうか。 勿論、脳からだ。 言葉を持たない動物も幼児も、ある行為を拒否する行為はできても、…

自分で「イヤイヤ期」と言う

ゆっちゅの新たなマイブームは、ジャンプだ。 コンクリートでできている、高さ30センチ巾10センチほどの田んぼの畦から飛び降りるのにハマっている。 まだ、ジィの手を離そうとはしないが、時々はひとりで飛ぼうという意欲は見せる。 ママの話では、その成果…

集団行動

ゆっちゅの近頃のお気に入りの遊びは、みんなを引き連れて、二階の和室と隣の洋間を「院長回診」よろしく、儀式的に巡回して回ることだ。 全員を、一階の部屋から一人ひとり手を取って誘い出し、最後に必ず自分で一階の扉を閉める。 階段を登るときは、まず…

鉄橋愛

愛は、主体と客体との癒合的関係であるはずが、なにごとも対象化し実験にかけ原理をつかみ、機械論的世界観で搦め捕ろうとする主体の異常な情熱は、他者に対する愛情を変質させる。 他方、主体と客体を峻別するがゆえに自然から疎外されてしまい、孤立した主…

高みをめざす自我

心身のバランスが取れた人間像は、現代社会においては、一つの理想像であろう。 しかしながら、身体が自然の一部、いや自然そのものであることに気づいている人は意外と少ないように思う。 普通、意識している身体は、心の領域に属しており、身体全体から見…

近代的自我

近代的自我が、近代的工業化社会と一心同体とものであるというようなことを論じている本を読んだ。 言いかえれば、今日の高度に科学技術が発達した社会で生きてゆくには、それにふさわしい自分の意識を持つ人でなくてはならない、ということらしい。 早い話…

やーだー

言葉を使うときは、立ち停まるか、抱っこをする。 自分から歩きたいと思って歩いているときは、言葉を発することは少ない。 簡潔に言うと、今のゆっちゅには、そのような傾向がみられる。 同じ場所を何度か歩くと、初めは多かった言葉数も少なくなり、抱っこ…

身体知

学習は、行動することと切り離すことができないということが、ゆっちゅを見ているとよくわかる。 一緒に歩いていて、いつも驚かされるのが、障害物を回避するときの仕方である。 よそ見している歩いているゆっちゅが、そのまま進んで行くと、少し突き出した…

日常と非日常

しばらくの間、さんぽコースを固定していたところ、ゆっちゅとの間に不思議と会話らしきものが成立するようになった。 例えば、踏切に行こうと言うと「カンカン」とか「カンカン いこう」などと言うようになり、行くと電柱を数えたり、枕木を固定する石を数…

台風のツメ跡

台風で水をかぶった河川敷の風景は一変した。草木はなぎ倒され、流木があちこちに打ち上げられている。 台風が来る直前に刈り整えられた草っ原だけは、水が引いた後も以前と変わらず青々としている。 それが、まだダムの放流が続いているため茶色く濁った水…

言葉を使う

さんぽコースを固定してから、点と線だったさんぽが、移動中は抱っこでナンバープレートの文字と数字の読み聞かせとゆっちゅが盛んに話しかけてくるようになったので、その相づちを打つのに忙しくなった。 ゆっちゅが抱っこから降りて遊ぶ場所が、点から面に…

テレビにパンチ

二日前のことである。 ラグビーのサモア戦にみんなが夢中になって、誰も自分をかまってくれないことに腹を立てたゆっちゅは、遊んでいたプラスチックのクルマのおもちゃを持って、つかつかとテレビに近づいて画面をガツンガツンと殴打した。 正義は勝つ、で…

わがままを言う

わがままをいうことが、自分との関係で物事を知ろうとしていることであると考えるなら、イヤイヤ期の子どもは、まさしく自我形成の途上にあると言えよう。 外界からの感覚情報に対して行動を取ろうとしたり、自らが無意識におこす運動によって送られてくる運…

シナプスの刈り込み

イヤイヤ期の多くは、2歳〜3歳に訪れると言われている。 受精後17週で、大脳の神経細胞150億個の基本構造はほぼ完成するらしい。 そして生後1歳~3歳、大脳は外界の刺激を受けて、ニューロンとシナプスのネットワークを広げて行く。 しかし、始めは接続は…

文字を読む

水曜日の朝のさんぽは、歩いている人もあまりなく、新築の家の壁に釘を打ち付ける音が、乾いた空気を伝ってきていた。 閑静な住宅街の道を歩きながら、例によって車のナンバープレートを読みあげながら歩いていると、突然「ハ」と声がして、ゆっちゅが平仮名…

暗がりのさんぽ

水泳教室から戻ってきてから夕方の5時頃にさんぽに出た。 秋の彼岸も過ぎると、日が暮れるのが早いのには驚くほどだ。 川に石を投げ入れるのと、鉄橋の下を通って鉄橋をしたから観察するさんぽコースだ。 近ごろは草っ原をジィと走ることも恒例となりつつあ…

自主性の芽

最近のさんぽで発見したことが、二つある。 一つは、行き先を言葉で伝えると、自分で歩かず抱っこしてくる。 もちろん、さんぽコースは、ここのところ固定しているので、次に行く所をゆっちゅが予想しているということも考えられないわけではない。 しかし、…

慣例となったさんぽコース

この頃、さんぽ中のゆっちゅは抱っこすることが多くなった。 コースが固定していることと関係しているのだろうか。 まず最初に行くところは、家の近くの踏切だ。 「ふみきりにいこう」。 高台になっているので、見晴らしがいい。 抱っこから降ろすと、ゆっち…

アシモー

ゆっちゅの使う言葉に、感情を表すものの一群がある。 例えば、ゆっちゅが好んでよく口にする「アシモー」という言葉がある。 これは、ママの「あ〜 もう」「あらまぁ」という言葉が元になっていると考えられる。 あら、またなの、しょうがないわね。 もう、…

線を引く

ゆっちゅの線を引くという行為を見ていると、時に、何かに突き動かされて、止むに止まれぬ情動に駆られているような感じを受けることがある。 勝手に手が動いてしまうと言った風に見える。 描き始めは、なにか形を描こうと、丁寧に線を引いている。 はじめに…

花と鼻

木曜日のことである。 ゆっちゅの住むアパートの前に、隣の家の小さなお花畑があり、色々な色の花を咲かせている。 「ハナ」「赤」「黄色」などと言ったりして、秋の訪れとともに、花に関心を示すようになったゆっちゅである。 今日、そのお花畑でゆっちゅは…

アリを数える

水曜日のことである。 例によって、踏切に行ってから、新築中の家を見に行った。 「アシ いっぱい イチ ニ サン シ ゴ」と興奮して叫ぶ。 「イチ ニ サン シ ゴ」は、一つ一つが別であること、すなわち個体性を認識する作業であり、「いっぱい」は、個の集合…

「キレイ」

火曜日のことである。 地面の砂や土を触って、手が汚れると手を差し出して「キレイ」と言う。 ジィはゆっちゅの手の砂や土を払ってやる。 そして、「こうやって、手でパンパンやるんだよ」と手を叩いて見せると、ゆっちゅも同じようにする。 台風一過、秋を…

クレヨンをもった狩人

このところ、絵描き願望がまた高まりだした。 支援センターでも、よくお絵描きをしているやうだが、ジィの家ではしばらくの間、お絵描きは中断していた。 日曜日のこの日も絵を描きたいとクレヨンを探し始めたので、用意してやった。 ゆっちゅの描く線は力感…

おっきなバフ

土曜日のことである。 新築中の家は、二階の壁の部分が覆われて、窓の部分が空いている状態になった。 一階部は相変わらず柱だけである。 「お家は、柱と壁と屋根からできているんだよ」と説明しながら、抱っこして歩いて行く間、ゆっちゅは「ハシ」「アシ」…

クルマのナンバープレート

金曜日のことである。 新築の家は屋根がかかり、骨組みがほぼ出来上がっていた。 それを見たゆっちゅが「アシ いっぱい」「ハシ いっぱい」という言葉を何度発していた。 「イチ ニ サン シ ゴ * * ハチ キュウ ジュウ いっぱい」も盛んに口にする。 まだ…

3語文

水曜日に、ゆっちゅはパパとママと三人で赤い特急電車の先頭車両のパノラマ席に座った。 食い入るように電線や電柱、線路など眼前に押し寄せてくる景物を見ていたそうだ。 次の日、その話を聞いてジィは「きのう赤い電車に乗ったんだって、たのしかったか」…

木の数 柱の数 電柱の数

ゆっちゅが、向こう岸に立っている木をゆび指して「キ」と言う。 ジィが「12345…10、いっぱい、いっぱい」と応える。 ゆっちゅが、自分の手を掲げて、ぎこちなくゆびを折りながら、「イチ ニ サン シ ゴ」と数える。 そしてまた、振り返って「イチニサンシゴ…